鎌倉殿の13人のあらすじ一覧
寿永元(1182)年。政子は男児を出産し、鎌倉は頼朝の嫡男誕生に沸く。だが、頼朝の浮気が大騒動に発展。激怒した時政(坂東彌十郎)は伊豆へと戻り、これを比企家にとっての好機と捉えた能員(佐藤二朗)は義経らに接近する。そんな中、義時は八重のことをいちずに思い、鎌倉と伊豆の江間館を行き来する日々を送る。一方、平家に敗北し再起を図る頼朝の叔父・行家(杉本哲太)が頼朝の大倉御所を訪ねてくる。頼朝は異母兄弟の義円(成河)を戦に巻き込んで戦死させた責任を感じていない行家に対し、決別を宣告する。行家は、頼朝のいとこで頼朝に次ぐ実力者の木曽義仲(青木崇高)を頼って信濃に向かう。
八重は、義時から父・伊東祐親(浅野和之)と祐清(竹財輝之助)父子の自刃を聞き、憤りを抱き納得できない。義時は傷心の八重に、三浦館を離れて住み慣れた伊豆の江間で暮らすことを勧める。江間は頼朝から与えられ義時の領地となっていた。程なく、政子の出産が間近になり、頼朝の嫡男誕生への期待が高まる。頼朝の前に時政(坂東彌十郎)、和田義盛(横田栄司)ら鎌倉殿の中核を成す豪族たちが続々とそろう。そんな中、比企能員(佐藤二朗)が頼朝の乳母・比企尼(草笛光子)を伴い、鎌倉に出仕。さらに、公家の三善康信(小林隆)から推挙された官僚・大江広元(栗原英雄)らが都から下向し、新たな体制が動きだす。
治承4(1180)年12月。ようやく鎌倉に頼朝の新御所が完成する。八重に夫婦になろうと伝えるも袖にされ、仕事で悲しみを紛らわす義時は、新しい執務室で実務能力を発揮する。坂東武者に平家の旧領を恩賞として与えるなど着々と体制が整えられ、忙しい日々を送る。そんな中、りくは、御台所として優遇される政子より格下扱いにされたことに納得できない。さらに頼朝のしゅうとである時政(坂東彌十郎)の処遇の低さに不満を募らせる。その頃、都では清盛(松平健)が平家に盾突いた奈良の東大寺や園城寺などを焼き打ちし、敵対勢力の掃討に乗り出す。清盛の恐ろしい所業に、頼朝は怒り狂う。
頼朝は、富士川の戦いで平家の大規模な追討軍を退ける。これを聞いた後白河法皇はほくそ笑み、清盛(松平健)は災いが続く福原から京へ都を戻し、頼朝追討に自ら采配を振ることを決断する。その頃、頼朝と合流した義経は6年間世話になった奥州の覇者・藤原秀衡(田中泯)の元に援軍を求める文を送る。だが、秀衡は清盛からも頼朝追討を求める文を受け取っていて、どちらにも「承知した」と返事をするしたたかな行動に出る。そんな中、鎌倉では八重が侍女として頼朝のそばで働き始め、義時はそんな八重を気遣う。義時の態度に、頼朝の愛人で八重をライバル視する亀(江口のりこ)は疑念を抱く。
頼朝の軍勢はついに鎌倉入りを果たす。そして敵対した平家方を捕らえるため、三浦義澄(佐藤B作)のおいで武骨な坂東武者の和田義盛(横田栄司)と、義時と同年代の武蔵の若武者で頼朝に降伏したばかりの畠山重忠(中川大志)を派遣する。これを知った義時は、三浦義村(山本耕史)と共に祖父の伊東祐親(浅野和之)と八重を救うため、義盛らよりも先に伊東館に到着。義時は、刀を抜いて自ら命を絶とうとする祐親に降伏するよう説得する。その頃、都を出た平家の追討軍が大軍を率いて東海道を進軍する。頼朝に協力を約束していた甲斐の武田信義(八嶋智人)が単独で駿河に向かったことを聞き、頼朝は激怒する。
奥州をたった義経は、兄・頼朝との対面を夢見て弁慶(佳久創)と共に歩を進めていた。その頃、関東各地で平家への反乱の炎が一気に燃え広がり、頼朝の軍はさまざまな思惑を抱えた者を引き込み急激に勢力を拡大。さらに頼朝は上総広常(佐藤浩市)らを加え勢いを増し、鎌倉を目指して進軍する。義時は武蔵を経て墨田宿に入った際、豪族たちの力関係などに配慮して行軍の順列から宿所の割り当てまでを決めることに多忙を極める。そんな中、頼朝から新たな命を受けた義時は、信義(八嶋智人)を味方に引き入れるため再び甲斐へと向かい、先に甲斐にいた父・時政(坂東彌十郎)と共に信義との交渉に臨む。
平家に幽閉されて嘆く後白河法皇は、寵姫の丹後局(鈴木京香)へ救出に名乗りを上げない源氏への不満を漏らす。そんな中、平清盛(松平健)から挙兵した源頼朝が石橋山で大敗したと知らされ、後白河法皇は悔しさで顔をゆがめる。その頃、房総半島で再起を図る頼朝は有力豪族を味方に付けようと、千葉一族の中興の祖・千葉常胤(岡本信人)の元へ安達盛長(野添義弘)を送り込む。さらに、関東屈指の豪族・上総広常(佐藤浩市)の元へ和田義盛(横田栄司)と義時を差し向ける。義時が交渉する当日、大庭景親(國村隼)も梶原景時(中村獅童)を送り込み広常と交渉に臨む。双方の言い分を聞いた広常は返事を保留する。
源頼朝(大泉洋)の一党は、平清盛(松平健)の信頼が厚く「坂東の後見」といわれる相模一の大物・大庭景親(國村隼)率いる平家方の前に大敗を喫する。この合戦で北条家を引っ張ってきた宗時(片岡愛之助)ら有力な坂東武者が戦死。そんな中、敵の追撃から必死に逃れる頼朝は、信頼する従者・安達盛長(野添義弘)らと共に石橋山山中に身を潜める。その頃、兄・宗時の熱い思いに決意を新たにした義時は、再起を図るべく父・時政(坂東彌十郎)と共に甲斐へ向かい、甲斐源氏の棟梁・武田信義(八嶋智人)と対面。義時は、信義に頼朝への力添えを頼むが、信義は頼朝への援軍を断り、北条への援軍なら協力すると主張する。
挙兵した頼朝の一党は、闇夜にまぎれて堤館と山木館を立て続けに襲撃。伊豆国の目代・山木兼隆(木原勝利)と堤信遠(吉見一豊)との戦に見事に勝利した頼朝は、坂東の政を行うと公言する。頼朝は義時の知恵を借り、坂東での政の第一歩として土地の分配を始めるが、これを知った平家方が激怒。相模では、平清盛(松平健)の信頼が厚く奉行を務める大庭景親(國村隼)が、配下である梶原景時(中村獅童)ら3千の兵を率いて出陣する。その頃、伊豆でも頼朝討伐に燃える義時の祖父・伊東祐親(浅野和之)が3百の兵を率いて動きだす。対する頼朝は全軍を率いて源氏ゆかりの地である鎌倉を目指す。
治承4(1180)年8月。源頼朝は、三島明神の祭りで敵方の警備が手薄になる17日を挙兵の日と定める。ついに挙兵を決断した頼朝の一党は、平家討伐にのろしを上げるのに最適な伊豆国の目代・山木兼隆(木原勝利)を討つため戦支度を始める。しかし、頼朝が熱く語り掛け鼓舞するが、挙兵前日になっても呼応する武士の集まりが悪い。頼朝の乳母の子・山内首藤経俊(山口馬木也)に助力を断られるなど、強大な平家の威光の前に兵の士気は上がらなかった。強気な兄・宗時とは対照的に、義時は自身の浅慮を後悔する。そんな中、対岸の江間館で暮らし、北条の動きがよく見える八重は、義時に声を掛ける。
治承4(1180)年4月。流人・源頼朝と通じ男児を出産した八重は、頼朝と引き離されて父・伊東祐親(浅野和之)の家人・江間次郎(芹澤興人)の元へ嫁がされていた。北条家と近所で川を挟んで対岸に本拠を構える江間館を見つめる義時は、八重が近所に嫁いだことに複雑な思いを抱く。一方、頼朝は義時の姉・政子との間に大姫(難波ありさ)をもうけ、平穏な日々を送っていた。そんな中、頼朝の叔父・行家(杉本哲太)が北条館を訪ねてくる。聞き覚えのない名前に政子が怪しがる中、頼朝は渋々対面する。行家は平清盛(松平健)へ反旗を翻した後白河法皇の皇子・以仁王(木村昴)の令旨を携え、頼朝に挙兵を促す。
義時の祖父・伊東祐親(浅野和之)は、まな娘の八重が流人の源頼朝と恋仲になり男児を出産したことで激怒し、頼朝を処分するべく兵を集める。だが、義時の父・時政(坂東彌十郎)と義時の兄・宗時が頼朝をかばって祐親と対立する。両勢力が一触即発の膠着状態となる中、平清盛(松平健)を後ろ盾に相模国の武士団を束ねる豪族・大庭景親(國村隼)が突然現れて両者の仲裁に入る。その頃、目まぐるしく状況が変わる親族間の争いに振り回される義時は、姉・政子らの助けを借りて変装した頼朝を連れて伊豆国から逃げ出し、富士の山裾にいた。だがそれもつかの間、義時らに矢が射掛けられ緊張が走る。
執権として武士の世を盤石にした男・北条義時の生涯と、鎌倉幕府将軍“鎌倉殿”を支えた義時を含む13人の御家人たちの姿を描く群像時代劇。安元元(1175)年秋。平清盛(松平健)が大権力者として君臨していた日本。伊豆国では、義時が兄・宗時(片岡愛之助)、姉・政子らとのんびり暮らしていた。しかし、流人・源頼朝が義時の幼なじみ八重と恋仲になり男児をもうけていたことが発覚し、状況は一変。清盛から頼朝の監視を任されていた八重の父・伊東祐親(浅野和之)は、京の務めを終えて3年ぶりに伊豆国に帰還した直後の出来事に激怒する。肝心の頼朝は姿をくらまし、北条家にも捜索命令が下る。