――本作の台本を拝見させていただきましたが、志賀や岡田結実さん演じる奈々美の辛い心情描写が生々しく描かれていき、読み進めていくのが辛くなってしまうようなストーリーでもありました。上川さんは実際に台本をお読みになられていかがでしたか。
上川:読んでいる時は役が乖離しているというか、(物語を)読むことに専念してしまう部分があるので、むしろその展開の急変具合ですとか、物語全体の起伏の激しさなどを、言葉にちょっと語弊があるかもしれませんが、小説として楽しみながら読んでいた部分がありました。
ですので、いざ自分がその言葉一つ一つを口にして演じていくという局面になって、改めて彼が迎えていく、タイトルにもあるような「夜の暗さ」や「夜の深さ」を味わっていったように思います。
――今回上川さんが演じられる「志賀倫成」という役どころについて、当初感じられた印象をお聞かせください。また、演じる中でそれが変化していった部分はありましたか。
上川:やはり今仰られたように、読んでいる中でも彼の境遇はひとかたならぬものがあるんですが、志賀という男はそれに押し流されることがないんです。ですので、演じるにあたって(過酷な境遇に)押し流されないだけの拠りどころ、足の踏ん張りどころを見出しながら演じていたように思います。
――志賀は週刊誌の副編集長という立場でありながら殺人事件の加害者家族となり、世間から激しいバッシングにも晒されていきます。あらゆる角度から追い詰められていく志賀を演じることは心情的にも大変な部分があったと思いますが、演じていて難しさを感じた部分はどういったところでしょうか。
上川:確かに志賀の境遇はなかなかにヘビーなものなのですが、それは志賀がスキャンダルを中心としたスクープを扱う雑誌の副編集長という立場であったからで、彼がそうした仕事に従事していない普通のサラリーマンであったなら、志賀の取っている行動は決して間違っても、曲がってもいないんです。
自分の息子が殺人の容疑をかけられた上で自殺と見られる死に方をした。でもそこに疑問点があったので「息子は殺人犯ではないのではないか」という声明文を出した、というだけのこと。これは一人の親としてどなたでも思い至って当たり前の行動だと思いますし、そこに志賀の信念の一つがあると考えると、先ほどお話しした「踏ん張りどころ」というか、倒れないための手がかりになるなと思いました。
もちろん、それまで他人の重箱の隅をつつくような仕事をしていたことは事実ですが、志賀という男の粉飾を取り除いていくと、そのコアにある「親」という部分で子供に向ける愛情は、どなたとも変わらないものであって然るべきなのではないかと。なので、(役柄として)たくさん大変な目には遭わされますが、それが確信できてからは堪え忍ぶことができるものになっていったように思います。
――志賀の息子・健輔に対する「親として子供を信じたい思い」が、大きなバッシングを招きながらも事件の真相へと近づいていくことになりますが、そうした志賀の心情を上川さんとしてはどのように捉えていますか。
上川:志賀の心情を理解できるかということよりも、「子供を信じたい思い」がいかに普遍的なものであるかというところだと思います。僕には子供という存在はいませんが、それは肉親ということに置き換えれば容易に理解できる感情だと思いますし、それを想像するにあたって、また役柄に置き換えていくにあたっても難しいものではありませんでした。
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