――2020年、年末にしてこの一年で最初の舞台作品となりますね。今の率直な気持ちを教えてください。
今まで一年に一本も舞台をやらなかった年はなかったので、非常に楽しみ…と単純に言えるわけはなくて、いろいろと思うことはあります。
自粛の時期があって、自分にとって舞台は必要ないんじゃないかとか、舞台に立つということはどういうことなんだろうかとか考えました。
だから今回の舞台は、演劇が本当に自分に必要なのかどうかを確認する現場みたいなものです。素直に楽しみというより、そういう思いの方が大きいかもしれないですね。
――やっぱり自粛期間などで考える時間も多かったですよね。
誰に聞いてもそうでしょう。自分の表現の場はどこなのかとか、そもそも本当に誰かに求められているのかとか。演劇にとって、この一年は非常に難しい年ではありました。正論を説いても寄ってたかってたたかれるようなこともありましたし。
でも、たたく人の意見も分かるんですよ。「演劇ごときが何を言ってるんだ」って。「大切なのは人命じゃないか」とか、本当によく分かるんです。
――役者仲間の方々とそういう話もされましたか。
(中村)勘九郎さんと話しました。彼は「子どもたちが成人したときに歌舞伎をなくしてはいけないという思いで、必死になってやってはいるけど、配信の道も考えなきゃいけないな」と。歌舞伎の方がおっしゃるぐらいですからね。切ないなと思いました。
僕としては演劇の在り方というのは、他者とのコミュニケーションは舞台でやるしかないんだ、と思いながらやってきたところはあるんですけど、正直な話、ちょっと揺らぎましたね。
今は、もうちょっと直視すべき事案があるんじゃないかっていう思いもありますが、じゃあ何も行動を起こさなくていいのかって言われたらそうではないだろうと。
冷静に考えたとき、柄本さんも言ってたんですけど、やっぱりお客さんがいて演劇は成立してきたし、配信の時代になるのかもしれないけども、配信ではなかなか伝えきれない部分もあると思うので、今回の舞台では一歩踏み込んで、僕は自分自身で確認したいなと思いますけどね。
――演劇の世界観が変わる作品になるんですかね。
そこまで大それた企画じゃないですけどね(笑)。
――それでも、今までの作品に臨む気持ちとは違いますか?
そうでもないです(笑)。柄本さんが演出をやってくれるんだ、松井さんの新作か、ありがたいなっていうことでしかないですね。
あとは、 (東京・)下北沢でずっとご自身の劇団(劇団東京乾電池)公演を、“スズナリ(下北沢ザ・スズナリ)”などでやってこられた柄本さんが、下北を飛び出して池袋まで行くという劇的な瞬間を見られるのはうれしいと思います。
柄本さんもそうだけど、(中村)勘三郎さんとか志村(けん)さんとか、あそこまで極めている方たちに対してはやっぱり尊敬の気持ちがありますし、今、自分が演劇で一緒にやらせてもらうことはやっぱり楽しみですよね。勉強になるだろうなって。
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