舘ひろしの役者道 恩人・渡哲也さんの存在と転機となった“二つの作品”

2021/02/27 07:45 配信

芸能一般 コラム

舘ひろし撮影=永田正雄

渡哲也さんの存在が支えに


芝居の基礎を学ばずにこの世界に入ったことがコンプレックスだった舘に渡は「ひろし、お前には華がある」と褒めてくれた。その言葉が大きな支えになったという。また、鳩村として戻ってきたときには、「ひろし、最近、芝居がうまいな」と怒られたという。うまい小芝居ではなく、人生丸ごとで演じろという意味だった。

彼との出会いからしばらく経って、舘は石原プロの小林正彦専務から「うちに来ないか」と誘われる。意外にも「西部警察」が始まった頃はまだ舘はフリーだったそう。このことを渡に相談すると「ひろし、この話は俺が預かった」と一言。

実は、渡は舘の石原プロ入りには反対だった。「渡さん自身も石原プロに入って自分のやりたい仕事ができなかったりして『お前にはそういう苦労はさせたくない』と」。だから、石原プロと条件闘争をしてくれたのだという。「『お前がうちに来てツラいこともあると思うけど、傷を舐めあって行こうな』って(笑)」(「サワコの朝」2021年1月9日)

「あの作品のおかげで今の僕がある」イメージを一新した作品


硬派でダンディな役柄が多かった舘は2007年に「パパとムスメの7日間」(TBS系)に主演。新垣結衣演じる娘と人格が入れ替わるというコメディでそのイメージを一新させた。

「あの作品のおかげで今の僕がある」(「日刊スポーツ」2021年1月31日)という。そして、映画「終わった人」(2018年)でモントリオール映画祭・最優秀男優賞を受賞。その際、「おい、ひろし」と渡から電話がかかってきた。「よかったな。俺ら石原プロは、石原裕次郎はじめ、みんな大根だけど、お前は大根に花を咲かせてくれたな」と(「徹子の部屋」2019年2月11日)。

うまい芝居ではなく、人生丸ごと演じてきたからこそ、花を咲かせることができたのだ。


文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」

※『月刊ザテレビジョン』2021年4月号