眞島秀和、多くの現場で培ったバランス感覚は“何かを起こす”【てれびのスキマ】

2021/03/24 14:17 配信

芸能一般 コラム

“オジカワ”ブームの火付け役、眞島秀和※2020年ザテレビジョン撮影

「スウィングガールズ」で初心に


24歳で事務所に所属し、本格的に俳優活動を始めるが、仕事はなかなか増えなかった。ようやくもらった仕事の現場で、どうやったらこの関係が続いて次の仕事につながるか。いつしか、そういうことばかりを考えるようになってしまっていた。

「最初はものづくりに参加することが楽しくてやっていたのに、プロの世界に入ってそういうことばっかり気にしてる自分が嫌になって向いてないなと」(「あさイチ」2020年10月16日)と思い、役者を辞めようかと思ったことも何度もあるという。

そんな頃、参加したのが故郷・山形を舞台にした「スウィングガールズ」(2004年)だった。この映画で眞島は、役者としてはもちろん方言指導も担当した。そのため、台本の直しから、自分が出ている場面だけでなく撮影も立ち会い、映画が出来上がる過程をすべて見ることができた。

「ああ、こういう楽しさを味わうために俺は役者を目指したんだ」眞島は初心に帰ることができた。

「海峡」が大きな転機に


それから程なく30歳のときに出演したドラマ「海峡」(2007年、HNK総合ほか) が大きな転機となった。長谷川京子が演じたヒロインの相手役という準主役。監督は眞島が愛する「天と地と」(1969年)など “昭和”のドラマを数多く撮ってきた岡崎栄。

「すごく役者のことを見ている方で、こちらの気持ちが高まった瞬間に撮影に入るんです。僕のほうは役のことだけを考えて、そのまま撮影に入れるのがありがたかった」(「バイプレイヤー読本」)という。大勢のスタッフがいるなかで、ひとつの役を演じて長い撮影をすごすのは、ほとんど初めての経験だったという。