次に米本が向かったのは、宮城県南三陸町。東日本大震災で被災したこの町にも、モアイの知られざる物語が秘められていた。
1960年、マグニチュード9.5のチリ地震発生。イースター島のモアイを流した大津波は1日後に日本にも押し寄せ、被害が最も大きかったのが三陸地方だった。そんなチリ津波の怖さを忘れることのないように、チリ地震から30年という一つの節目でモアイ像を公園に建てようという話が持ち上がる。津波の風化を防ぐ目的で持ち込まれたモアイだったが、すぐに町のシンボルとなり人々に親しまれた。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災発生。田んぼの広がっていたのどかな港町は、たった数時間で姿を変えてしまった。
震災の様子を教えてくれたのは、 当時高校2年生だったという男性。
想像もしていなかった震災で苦しんでいる町のために尽力したのがチリ・イースター島の人々だったという。男性の話す、瓦礫に埋もれていたモアイが救出されるまでのエピソードに、米本も思わず感動する。
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