――普段、歌舞伎の舞台で活躍されている右近さんですが、お芝居の中で映画ならではのアプローチなどはしましたか?
なるべくリアルに、日常を過ごしている自分や現代劇に近い感覚でやらせていただきました。
まだ20代半ばではありますが、歌舞伎の世界でしみ込んだものはにじみ出てくると思うので、歌舞伎をやる中で習得したしぐさや強みを前面に押し出すというよりは、歌舞伎からは離れた“一新人俳優”くらいのつもりでいました。そして意識していないところでの所作などで、歌舞伎の力に助けてもらえると思っていました。
だから時代劇というものに対して「歌舞伎役者だから納得させてやろう」みたいな気負いもなく、まっさらな気持ちで取り組みました。
そういった歌舞伎役者としての意識というよりは、演じた松平容保という人に対してリスペクトをするという意識の方が強かったですね。
――今回の作品を右近さんはどのように掘り下げていったのでしょうか?
歌舞伎には型があるので、古典の作品の役は先輩から教わり、その中で自分の色をつけていきます。今回の作品に“型”はありませんが、自分なりにそれに近いものを見つけたいという思いはあって…。
実際に幕末を生きていた容保公がある意味で僕にとっての“型”だと思い、歴史書や文献は芸談を読む感覚で読みました。
例えばメイクさんがお化粧してくれている際に口の色が赤すぎるからと薄くされちゃいそうになったんですけど、容保公は実際に唇が赤かったという史料を読んでいたので、そのままにしていただきました。
先ほどは歌舞伎役者としての意識は特にしなかったとお話ししましたが、そういったまっさらな気持ちと歌舞伎の延長線上のような形で役と捉える自分が同居している感じでした。
――自分だけではどうしようもできない状況に陥ってしまった容保公の表情や言葉の発し方がとても印象的でした。演じる際に意識したことはありましたか?
先ほど盆栽の話に戻ってしまうのですが、いろいろとやらせていただいた上で、「そんなにやらなくても伝わるし、やりすぎても伝わらないから、シンプルな表現にしてみて」と監督に言われたので…。
おそらくやりすぎてしまっていたところの中でやりすぎていなかったちょうどのタイミングを映し取ってくださったんだと思います。
それって自分では計算できないことですし、思い切り演じ、後は監督に任せようという気持ちでいることができたんだなと、今お話していて気づきました。
気持ちは前に出すのではなく、伝わるかどうかだと思うんです。監督のおかげで撮影時にはそういった思いを大事にすることができていたんだなと思います。うれしいです。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)