――バラエティーの基礎は「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」('85~'96年日本テレビ系)で教わったとお聞きしましたが。
「ええ、『元気が出るテレビ』には、番組スタートのタイミングで関わりました。総合演出はテリー伊藤さんだったんですが、本当にひどくって(笑)。決められたことはしないし、メチャクチャなんですよ。でも、発想が普通とは違う。面白いと思ったら、予定なんて壊してしまっていい! ということを学びましたね。やっぱりバラエティーって、“面白い”が一番なんですよ。
ただ、『元気が出るテレビ』は人気がありましたけど、そのころの日本テレビには今のような勢いがなくて。当時は他局の人気番組をマネした企画ばかりが通っていた時代でした。そうすると、視聴者ももちろんバカではないから、視聴率がすこぶる悪いわけです。その繰り返しでしたね。だって、ひどいときなんて、金曜日の夜7時で視聴率1.4%を記録したくらいですから(笑)。最近はテレビの視聴率が悪いって言われるけど、こんな数字はないんじゃないかな? なかなかの先駆者ですよ(笑)」
――そんな他局をマネた企画ばかりやっていた中、ある事情から3カ月の間、30分の番組を作ることになるわけですね。そのときは何か制限などはあったのでしょうか。
「とにかく何でもいいからやれって話になって。こんなことは初めてだったので、今までにないことをやろうと決めました。そんなときに思い出したのが、ワイドショー時代の出来事。よくアポなしで取材に行って怒られてたんですけど、そんな“人が怒られる姿”って面白いな…って(笑)。
テレビって、怒られたりトラブったりしているところは絶対放送しないじゃないですか。そういうところをあえて見せようと。そこで誕生したのが『進め!電波少年』('92~'98年日本テレビ系)なんです。渋谷のチーマーを更生させに行ったりだとか、もういろんなことをしましたね。基本、怒られるんですけど(笑)、たまにパレスチナのアラファト議長と会えたり、森英恵さんにスタッフジャンバーを作ってもらえたりと奇跡が起きる。それが面白い。テレビの予定調和が崩れていくところが視聴者にもウケたのかもしれませんね」
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