――赤澤さんはこれまでの「文劇」シリーズはご覧になりましたか?
赤澤:第1弾から第3弾まで見ました! 実在した人物をモデルにしているだけあって、どこか人に対する劣等感を持っていたり、エピソードがリアルですよね。
平野:そうだね。特に「3」は、攻め過ぎて賛否両論が出まくったから。上演した時期的にはコロナ禍があって、テーマとしてはプロパガンダがあって…もちろん苦手という方もいたと思います。僕としては、攻めたことはいいことだと思っていますが。
――確かに第3弾は、それまでの2作と比べても異色の意欲作でした。
赤澤:「攻めてるな」という印象はDVDで見ていてもありました。役者としての言いたいことを代弁してくれているという意味では「おおっ!」となったんですけど、確かに賛否両論あったと言われたら納得します(笑)。
平野:「トラウマ」って言われてるもん(笑)。そして誰もいなくなった…みたいな。
――演じる側としてはいかがでしたか?
平野:実は稽古中も「ちょっと攻め過ぎてるかな」とは話していましたね。「もっと行こうか」「いや、やめておこう」ということもありました。でも、国と芸術の戦いというのはどの国、どの時代でも起こって、繰り返されてきたことですよね。それにフタをしてキレイなものを見せるだけなら、「文劇」じゃなくてもいいかなという思いがあって。
脚本のなるせ(ゆうせい)さんと演出の吉谷(晃太朗)さんのコンビの「文劇」も3作目でしたから。第1弾は生み出す苦労、第2弾は前作を超えるというプレッシャーがあり、第3弾はシリーズが定着する苦悩がある。ただそこでもう一度攻め続けたいという思いがあったんだと思います。
赤澤:僕は3作を一気見したので、それぞれの色の違いがよく分かりました。第3弾は確かに…見終わって「ふぅ…」みたいな(笑)。でもあの作品をコロナ禍でやるのはすごいし、お客さんもものすごい経験をしたんだろうなと思いました。別作品の話になってしまいますが、「モリミュ」の第2弾(2020年7~8月)は1回目の緊急事態宣言が明けて間もない上演で。初日のオープニング終わりの拍手が本当にすごくて、忘れられません。
平野:あれはすごかったね~。衝撃だよね。みんな「手なんか捨ててやる!」って勢いで拍手してくれていたよね(笑)。
赤澤:今思い出しても鳥肌が立っちゃうくらいでしたね。きっと第3弾を見たお客さんも、そういう気持ちで観劇していたのだと思います。
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