日本を代表するアナキスト。自由恋愛を実践し、刃傷沙汰にもなるが次第に野枝とベストパートナーとなっていく。
日本初の女性による女性のための文芸誌「青鞜」を創刊。「原始、女性は太陽であった」という言葉は、日本の女性解放運動の幕開けを象徴する言葉となる。
翻訳家・思想家。日本のダダイズムの中心的人物。伊藤野枝の女学校の教師で、最初のパートナー。彼女の文才を見いだし、知の扉を開いた。
今から100年前の大正時代、平塚らいてうは「元始、女性は太陽だった」と宣言を出し、男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻した。喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。貧しい家を支えるための結婚を蹴り福岡から上京した伊藤野枝は、らいてうの青鞜社を支え、やがては時代の“若きアイコン”となっていく。関東大震災が起こり、理不尽な暴力が彼女を襲う事となる。