――50歳を節目にして、海外に移住して世界を舞台にした活動に挑戦していく様子も描かれていました。困難なことに挑み続けるエネルギーの源は、どのあたりにあるのでしょう?
「自分の人生を振り返る映画」として見ても全てがリアルで嘘がない。60歳の今のタイミングで、「家族を連れてゼロから始められるか」というと、もうそのエネルギーは残ってないかな、と思うけど、50歳っていうのは、「早くはなかったけど、遅すぎではない」。今思えば、とてもいいタイミングだったのではないかなとは思いますね。
BOØWYで成功したから、そこでおしまい…ではない。6年間の栄光だけでは生きていけないし、その先の30年後なんていうのは、自分で頑張らなければ約束されているものではない。音楽家としても人間としても、「もっと知らない世界の扉を開けていきたいという」思いは強いタイプで、常に自分は変化していきたいと思っている。その好奇心こそが挑み続けるエネルギーに繋がっているのかな。
実際成功の余熱で暮らしていけるほど甘い世界じゃないですし。やっぱりカッコいいかどうかは、見せかけのことじゃなくて、「その人が自分自身と向き合って生きているかどうか」ということだと思うんですよね。
――今回、映画を通じて「夢」というメッセージを強く感じました。布袋さんは、40年間「夢」を突き詰めてきた方ですが、これからの布袋さんが描く「究極の夢」はどんなものでしょうか?
「いつかワールドツアーをやりたい」というのが、10代の頃からの夢でした。渡英後の10年間コツコツと準備してきたことが繋がっていよいよ実現する…というところで、コロナが始まってしまい、悔しくも振り出しに戻ったような感覚です。でも、「ワールドツアーの成功」という夢は、自分の人生から消したくはないですね。
言葉にしてしまうと、ただの目標、目的みたいになってしまうんだけど、「夢」って語るものじゃなくて、「何かを追い続けるものだ」ということは、ここまで生きてきてすごく強く感じています。
――映画の中で「悔しかった」と言う表現も要所でありました。悔しさも原動力でしょうか。
たとえばアスリートの夢が「金メダルを取ったら、そこで終わり」ではなく、次はそこから金メダルという栄光を背負った日々が始まるわけですよね。またメダルだけが夢ではない。夢は、結果や大きさで語るものでではなく、それぞれが「自分が自分らしく生きる」ためのキーワードでいいと思うんですよね。
豪快に「お金を稼いでロールスロイスに乗りたい」という夢もあるだろうし、ささやかに「自分だけの部屋が欲しい」という人だっている。色々な形や大きさの「夢」があっていいと思うんです。
20代の頃には、まさか60歳の自分が「君は今も夢を追いかけているかい?」という問いかけを、ビートに乗せてシャウトするとは思わなかったけれど、「コロナ禍」や、「パラリンピック開会式」などの経験を通じて、「自分らしく生きることの大切さ」をあらためて考えることができたのは大きかった。今の僕が、この「Still Dreamin'」を歌うことは、自分の人生にとっても、すごく意味にあることだと思っています。
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