もちろん両親の影響で自然と映画も観るようになった。中学・高校時代は、人生の中でもっとも映画を観ていた時期で、年間250本近くを映画館で観ていたという。特に高校在学中にオーディションに合格し映画「美しい夏キリシマ」(2002年)でデビューするとそれが加速。
「新宿名画座ミラノ」や池袋の「新文芸坐」など名画座を中心に通った。「いろんな映画を雑食に観るのは、そういう映画との出会いを期待しているから」だと言う。「ただ、それに出会うには、やっぱりたくさんの本数を観ないといけないと思います。“量のない質”はありえない。僕は中高生時代『とにかく片っ端から観て、本数だけは稼ごう』という考え方でした。量を観ることは、何がおもしろくて何がつまらないかという基準を自分の中につくる」(「PINTSCOPE」2018年4月2日)ことにつながるという思いがあった。
前述のとおり「美しい夏―」でいきなり主演としてデビュー。「憧れ」だった映画が“現実”になった。宮崎県での2ヶ月間の撮影中は、ホームシックで毎日泣いていたという。だが、撮影を終えて、普通の日常に戻った時、それが「楽しいもの」だと気づいた。「だから“俳優になりたい”というよりも、映画作りの仲間入りがしたいというのが一番の動機」(「BANGER!!!」2022年1月25日)でこの世界に入った。やがて俳優の仕事が楽しすぎて、学校生活がおざなりになってしまった。
その時に母から「あんた役者じゃないからね、高校生なんだからね。高校生活をちゃんと過ごすことで、役の引き出しみたいのも増えていくんだよ」(「ファッションプレス」2022年1月21日)と諭されたことが役者人生の大きな指針となった。きちんと生活をすることが、役を生きる上で大事なのだと気づいた。