住んでる人にさほど注目せずに賃貸でこのマンションに住み始めたが、ここには幼稚園に入る前の子どもたちがとても沢山いる。そしてその子たちはマンションの庭で朝から晩まで走り回って叫びながら遊ぶのだ。
ここは独身のわたしが選ぶマンションではなかったようだ。
セイン・カミュさんの一点の曇りもない陽のパワーは強引にわたしを陽の当たる庭に連れ出した。
そして、わたしは、知らない数家族や大勢の子どもたちに囲まれ、ビール片手にコストコのカラフルなお皿を持ち、肉が置かれると食べる、話しかけられれば答える、というパブロフのイヌのようなことを週に一度やりはじめた。子どもたちの名前は覚えられなかった。みんな同じ感じにみえるし、じっとしてないから名前を覚えようにもどっかいってしまう。戻ってきたときには誰が誰かわからないのだ。興味がないものは、覚えられないよ。そりゃ。
2年が経ち、わたしは結婚し、娘を出産した。同じマンションに住みながら。娘は朝から晩まで泣いた。時には夜中に庭に出て泣き愚図る娘を抱きながら、わたしは立ったまま眠りそうだった。
子どもは、みんな、泣くのだとわかった。どんなにあやしたところで、腹の底からマグマのような力をもって「生きている」と叫んでいるようだ。
マンションの人たちは、泣いている娘をみると、顔をほころばせながら近づいた。疲れ果てたわたしに代わって、娘をかわるがわる抱いてあやした。
マンションの外は相変わらず朝から晩まで子どもたちの声が鳴り響いていた。
うちの子もやかましいから助かるわ、という気持ちと同時に、あの耳をつんざく子どもの叫び声が気にならなくなり、聞こえないとさみしく感じる日もあった。
そして、わたしはいつからか大勢の子どもたちの名前を覚えることができるようになっていた。
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