第9話では2人で石川・能登旅行に出掛けるシーンがあり、そのこと自体は2人の関係性を修復へと向かわせているのかと思えたが、“F”が牡蠣を食べたいと言って、食べに行くが、“M”は昔牡蠣に当たったことがあって食べられないというのを焼き上がった時に言ったことも含めて、旅行中に起きたささいな出来事が、2人の間の“ズレ”を“F”に実感させた。“M”の「楽し過ぎず、鮮烈でもなくて、程よく退屈ぐらいがちょうどいいんだよ」という言葉も、旅館の部屋のテレビで流れてきた無国籍者のニュースの感想も、ズレを大きくさせてしまうだけで、“M”は気付かないまま、“F”の心は離れていってしまった。「すごく遠くに来たような気がする」という言葉は決定打となっていた。旅行を終えて、2人で“Bar 灯台”を訪れた時、“F”が「もうここで別れよ」と言った時、2人の明るい未来を描いていた“M”にとっては青天の霹靂だったと思うが、“F”にとっては能登にいた時に気持ちは決まっていたはずだ。
そういう気付かないうちに生じてしまった“ズレ”みたいなものは簡単には修復できないのは現実世界でも一緒。このドラマにはそういうリアルさが散在しているように思える。
“M”がエッセーを書き始めて、単行本がまとまりそうになるまでの間、独白でもあるように、周りの人たちがどんどん離れていったり、遠くに行ったりしていった。“鮮烈過ぎず、程よく退屈ぐらい”の毎日の中での出来事だから、“M”の記すエッセーのような形で残していかないと“すべて忘れていく”のも必然かもしれない。
最終話のエンディング近くで、別れた後の“F”が楽しそうにテニスをしていたり、他の人たちもそれぞれ新しい生活を始めていたりする風景が映し出されているが、人生における転換期や“疎遠”になってしまうということも、ほんのちょっとしたことがきっかけとなっていたんじゃないかと改めて思わせてくれた。
「すべて忘れてしまうから」は、ディズニープラスで全話独占配信中。
◆文=田中隆信
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