――震災後の福島が舞台になっています。みゆきと同様に、妻を津波で亡くし、やり場のない思いを抱えている父親の姿も描かれていますが、実際に福島の方々と会って、お話を聞かれたそうですね。
撮影が始まる前に国立国会図書館に行って、福島の民放新聞の記事を5年前から調べました。その新聞で見た情報や景色と、自分が実際に見たもの、実際に聞いたことの差がすごく大きかったんです。復興は徐々にしている状態ですけど、これは本当に人が住んでいた町なのかなって思うくらい何もなくて、それが衝撃でした。あと、立ち直れずにいるお父さんの状況に対しても、娘として気持ちはわかるんですけど、それでも生きていかないといけない現実がある。でも、その現実に向き合うのは難しいし、答えとか、居場所とかを探してしまう気持ちはわかります。みゆきは自分の居場所を無くしただけでなく、母親というメンタルな部分での居場所も失って、どこに自分を持っていったらいいのか分からずにもがいているんですけど、それってすごくつらいことだと思うし、演じていてもここから抜け出したいという気持ちになっていました。
――撮影中はずっとみゆきの状態でいるために、東京での撮影でもホテルで暮らされていたと聞きました。
みゆきは仮設住宅で暮らしているんですけど、仮設住宅での生活ではどこか住んでいる感じがしなかったんですよね。でも、私が東京に戻ってきて自宅に帰ってしまうと、自分の日常がありますし、匂いとか感覚が全部自分に戻ってしまうんですよね。あと、みゆきも福島に戻れないときには、どこかのスパとかに泊まっていたと思うので、そうして良かったなと思います。
――そもそも瀧内さんは映画のエキストラに参加したのをきっかけに今の事務所に所属されたそうですが、もともと女優になりたいと思っていたのですか?
母親が映画好きで、小学生の頃からよく映画を見に連れていってくれていて。そのときに映画の本編もそうですけど、映画館からの帰りに車を運転している母親の横顔が大好きだったんです。というのも、映画を見る前の顔とは明らかに違っていて、子供心に映画にはこんなにも影響力があるんだなと思いました。多分、それが女優になりたいと思った原点のような気がします。あと、母親は自分の憧れであり、一番尊敬している人でもあるので、どこかで母親に認めてもらいたいという気持ちがあったんでしょうね。だから、映画の中に入ったら、遠く離れていても私の成長を届けられるかなと思って、今の仕事を選びました。
――瀧内さんのプロフィールに落語を聞くことが趣味とありました。まだ若いのに渋い趣味ですね。
私、出身が富山県なんですけど、落語家の立川志の輔さんも富山県出身で、毎年「志の輔らくご in 富山」というのをやられているんですね。うちのおじいちゃんが落語好きな人だったので、そこに私を連れて行ってくれたんです。そのときに落語家さんの表情がコロコロ変わっていくのが面白くて、そこから落語が好きになりました。東京でも志の輔さんの落語を見に行きたいけど、なかなかチケットが取れないんですよね(苦笑)。
――今ハマっていることはありますか?
エッセーを読むことですかね。前は本を読むのが苦手で、あまり好きじゃなかったんです。でも、知り合いから薦められて、三谷幸喜さんの「ありふれた生活」という本を読んだら、すごくハマってしまって。とくに三谷さんが飼われているペットの話が大好きで、12巻でイヌのとびが亡くなってしまったときは大号泣しました。すごく身近なことを、あんなに面白く、そして愛があふれる言葉で表現できるなんて三谷さんは本当にすごいですよね。
――では最後に、今後の女優として目指したいところは?
今できることを常にやっていく、というのを大切にして生きていきたいです。私は人に会うとすごくエネルギーをもらえるのですが、そういう人との出会いや、そこから感じたことを大切に表現していけたらいいなと思います。
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