「ヤツは憂助? いや、憂助は死んだはずだ」とベキはまだ疑っている。
ノコルはポリグラフで乃木の嘘を暴こうとするが、別班のことなど、知っていることは洗いざらい話していく乃木。その中で、「お前はどうやって別班に入ったんだ?」というノコルの質問を受け、乃木は自身の経歴を明かすこととなった。
2001年9月11日、コロンビア大学に在籍していた乃木は、キャンパスからわずか10kmの距離にある貿易センターの同時多発テロを目の当たりにした。「家族のために軍隊に入っていく友人たちを見て、自分も何かのために命を賭けたいと思ったんです」と、自衛隊入りを決めた理由を語り、幹部候補生として陸上自衛隊に入隊したことも伝えた。
「特A」が並ぶほど成績が優秀な乃木は、心理戦防護(当時の諜報特殊部隊の通称)の試験を受けることになり、記憶力などが試される1時間ほどの面接試験を経て、“別班”配属の通知を受けた。
自衛隊での経歴は抹消され、東大大学院に入学し、表向きは大学院生として、裏では別班員として特別訓練を受けていた。「訓練はすべて上官と2人で行われ、潜入、尾行、盗聴技術などを叩き込まれました」と別班での訓練の様子を伝え、初めての任務についても明かした。
大学院を卒業する時、中国に国家機密を売り渡していた通産省の官僚を自殺に見せかけて殺害。「その時、初めて人を殺しました。その後、丸菱商事に入社。中央アジアをはじめとする世界各地の情報を探るようになり、現在に至ります」と自身の過去を振り返った。
ポリグラフに反応が表れないことに対して、ノコルは「別班のお前ならポリグラフなど簡単に処理できるはずだ」と苛立ちを隠せない。
すると乃木は「そう思うならDNA検査をしてください。そうすれば親子だと分かってもらえます。お願いします」と懇願。検査の結果が違った場合、「その時は殺してください」と自信たっぷり。
モニターで見ていたベキはノコルに伝言した。「もし本当の息子なら、最後に別れた時の話をしろ」と。
「バルカにいた時のことは断片的にしか覚えていません」と前置きしつつ、「遠ざかっていくヘリコプター。泣き叫ぶお母さん。逃げて、追われて、どこかの村でトラックに乗せられて、私は泣きながら叫び続けていました」と両親との最後の記憶を語った。
ベキは「その後、どうした」と、その後の“憂助”が気になった様子。乃木は「人身売買のブローカーに連れて行かれたのだと後で分かりました」と話し始め、投げつけられ頭を打った時に記憶喪失になって自分の名前が分からなくなったこと、その後、日本人ジャーナリストに助けられ、船で日本に連れて帰ってもらい、京都・舞鶴の養護施設に入り、自分の名前が分からないため、“丹後隼人”という名前を名乗ったことなど、全てをベキに伝えた。
息子のことを名前で探していたが見つからなかった理由が分かり、ベキはDNA検査を受けることを決めた。結果は「99.999%」、実の親子だと立証された。
「よく、生きていた」と声を掛け、写真を見ながらひとり外で涙を流すベキの表情は“父親”の顔だった。
◆文=ザテレビジョンドラマ部
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