100年単位で残る品と美しさを誇る俳優、吉永小百合

2023/10/01 07:00 配信

芸能一般 コラム

吉永小百合※2023年ザテレビジョン撮影

高校1年で日活の所属に


小学生の頃は、映画「二十四の瞳」(1954年)で主人公の大石先生を演じた高峰秀子に憧れて教師を志した。学芸会では歌劇を演じるのも好きだったが、プロの役者になるなんて考えもしなかった。しかし、小学6年の頃、ラジオ東京(現・TBSラジオ)のラジオドラマ「赤胴鈴之助」(1957年)のキャスト募集があったときに、知り合いの紹介もあり、親が応募したことが役者の世界に入ったきっかけだった。

「経済的事情もあったのかもしれません」と本人が振り返るように、「山の手の庶民派」などと呼ばれたが、実際には戦後、父親が事業に失敗し、貧乏に育ったという(「文藝春秋」2007年2月号)。その後、テレビ、映画にも活躍の場を広げ、高校1年で日活の所属となった。

当初は年に2本の専属契約だったはずが、どんどん出演作が増え年15本も出演するように。お嬢様役を演じる一方で、農家や漁師の娘、果ては年齢に見合わないナイトクラブのマダムなど幅広い役柄を演じた。だが本人は「とにかく与えられた台詞を喋っているだけでしたから、アクション映画から青春映画までジャンルの違う作品に出ているのに、とくに演技を変えた記憶はないんです(笑)」(同)と振り返る。