日本ハムなどで活躍した元プロ野球選手の森本稀哲が、「しくじり先生 俺みたいになるな‼」(テレビ朝日系)に出演。日本ハム時代のチームメイト・新庄剛志の影響を受けまくり、“しくじった”過去を激白した。
プレーだけでなく、私生活においても新庄の影響を受けていたという森本は、この日「好きな人に影響を受けて自分を見失わないための授業」を展開。1999年、ドラフト4位で日ハムに入団した森本だが、自分だけしか信じられない頑固な性格が災いし、なかなか結果が出せなかったそう。そんな中、2003年に、メジャー帰りの新庄が日ハムに加入。当時は、鳴り物入りで入団してきた新庄に並々ならぬ嫉妬心を抱いていたが、新庄から食事に誘われ、彼の男気にすぐ惚れてしまったという。
当時新庄は、北海道のホテルにあるスイートルームに住んでいたが、森本は新庄と年間250日は行動を共にし、ホテルで一緒に暮らしていたとか。さらにプレーでも、新庄にチャンスをもらったことでレギュラーを獲得、森本の野球人生は大きな変化を遂げた。
新庄は、惜しくも2006年シーズンオフに現役を引退。翌年、新庄の背番号1を継承した森本は、打率3割を達成し、日ハムのリーグ連覇に貢献したが、そこからが“ドデカいしくじりの幕開け”だったという。シーズンオフは、チームを優勝に導いた達成感から“燃え尽き症候群”に…。さらに翌シーズンの開幕直後、デッドボールで骨折し、1カ月以上戦線離脱したが、「シーズン中なのに休めてラッキー!」という気持ちの緩みが出ていたという。
当時の推定年俸は1億3000万円あり、成績はどんどん下がるものの、新庄の派手な生活に憧れ、夜な夜な遊びまくっていたそう。「飲食費だけで年間2000万円オーバー」「オリジナルグッズの製作で失敗する」など、金銭感覚が崩壊していたと明かした。そんな森本は、ついにレギュラーの座をも後輩に奪われ、その後は横浜ベイスターズに移籍。3年間結果を残せず、2013年、32歳の若さで戦力外通告を受けることになる。
ここでやっと「まだまだ野球がしたい!」と初心を思い出した森本は、西武ライオンズにテスト生として入り、見事入団。まずまずの結果を残してチームを盛り上げ、’15年に現役引退を発表した。この経緯を振り返って森本は、「うまくいかなかった時、失敗から学んで、それをどう生かすか…野球を通じて学べた。しくじっても、その先にはまだ人生がある」とコメント。最後は笑顔で授業を締めた。
次回は、9月3日(日)夜9:58から放送。元サッカー日本女子代表・丸山桂里奈が登壇し、現役時代にサッカーのルールをよく理解していなかったというとんでもないしくじりを激白する。
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