寺山修司没後40年を記念して上演された「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」が衛星劇場で放送される。歌や詩の朗読のほか、伝説的舞台「レミング-壁抜け男」の影山影子役を演じるなど、演劇実験室◎万有引力とのアンサンブルで織りなす耽美で、濃厚な1時間半。この作品と合わせて三上主演の映画「草迷宮」、舞台「青ひげ公の城」を含んだ寺山作品が5つ登場する。三上博史にインタビューした。
――「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」が衛星劇場で放送されることになりました。
三上:なんか思わぬ展開になってきました(笑)。「三上博史 歌劇」はある意味、後先考えずに中身を構成してしまいました。僕も加わって検討したわけですが、舞台に立つ自分の首を絞めることになっちゃった。1カ月の公演だったらそれなりにペース配分も考えるんですけど、今回は6日間と短かったので出し惜しみせず全力疾走、楽日は最後に残ったものを出せるだけ出すといった感じでした。
――客席から拝見していて、寺山さんの表現は、現代演劇の中ではなかなか見られないものだと感じました。
三上:もちろん寺山さんも構想し、制作していく段階ではロジックに考えていらっしゃったでしょうけど、表現にする段階では役者の肉体に委ねる部分が大きいんです。一方で意外と理知的に演じなくても、品良くまとまるのが寺山作品。ただ熱いだけのものだけにはならない保険がかかっている。だから安心して発散しちゃいましたけどね。本当はもう少し理知的にやった方がいいのかもしれないけど、僕の肉体を通すとああなっちゃう(笑)。終わってからしんどくて、1カ月くらいは廃人のようでした。
――いや、わかります。そのぐらい全力投球しているのは伝わってきました。そして「三上博史 歌劇」というタイトルこそが作品をいちばん言いえているようでした。今振り返ると何をやり遂げた、みたいな思いはありますか。
三上:「寺山修司没後40年」というお題目がありましたよね。修司忌と言って青森県三沢市で毎年やっている、寺山さんが中心にいる会があります。「三上博史 歌劇」はそれを伝えたいということで始まったけれど、構成する段階から、じゃあ自分に何ができるかを突き詰めていったんです。そうすると、もちろん寺山さんのテキストの幅がすごく広いこともあるけれど、僕が表現者として出せるもの、出したいものもやっぱり広い。歌や肉体表現、そしてセリフと全部引っ張り出されてしまった。普通はそんなことしないものだろうけど、全部を出さざるを得なかった。しかも生活面もそうでした。今は地方の山に住んでいるので都内で住まう場所を探さなきゃいけない、犬と一緒に暮らせる場所を探すことから始まったんです。ウイークリーマンションにキッチンは付いてるけど、調味料もないから、食べるところを探しました。体調悪くなるし、綱渡りみたいな状況だったけれど、三上博史を全部出しきったとは思います。楽日に打ち上げをやって、次の日に山に帰ったら、体調の悪さもピタリと止まった。もう少し余裕を持ってやれば良かったのか、まだ答えは出ないけれど、とにかく今回のプロジェクトは私生活まで含めて、やっぱりひと月、寺山さんの季節だったのかなと思いますね。
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