“寺山修司が生んだ俳優” 三上博史インタビュー「『草迷宮』がなかったら、僕はこの世界にはいなかった」<寺山修司没後40年記念特集>

2024/06/21 18:00 配信

芸能一般 インタビュー

「魔術音楽劇 青ひげ公の城」撮影:ハービー・山口

寺山修司との思い出懐古も、「何か違う形でもあのいい匂いに触れたかった」


――この5月の連休はまた三沢でライブを行われたんですよね。

三上:はい。東京で集大成をやった後だったので、空っぽになって(苦笑)。いつもピアノで参加してくれるエミ・エレオノーラさんがルーマニアの演劇祭に参加するために初めて欠席になるということで、「三上博史 歌劇」を一緒にやったギターの近田潔人さんとのんびりやりました。歌劇ではMCも一切ない緊張の中でしたけど、ライブ曲のことなど話しながらのんびりやりました。

――5月のライブを含めて、寺山さんの凄さを改めて感じられたのではないですか。

三上:興味は尽きないという意味では以前からずっと一緒で、結局は僕が惹かれてるというか、あのころの匂いをもう一回味わいたいんだと思うんです。その匂いって今もどこかにあるのかな、探したこともないけれど。だから今回は自分でその匂いをつくり出してみたかったのかもしれない。本当は自分が楽しみたかった。でもその匂いはやっぱり時代と相まったものがあるんですよね。自分も年齢を重ね、変わっている。だから今つくろうとしてもできないのはわかっているんだけど、何か違う形でもあのいい匂いに触れたかった。体の匂い、劇場の匂い、塗りたての書割のペンキの匂い。自分が関わらなくてもいいからそれを嗅いでいたい。それはずっと思ってます。そしてそれを皆さんと共有したかった。

――50周年のときには寺山さんに触れましょうか?

三上:周期は制作側の問題です。でも50年とか40年とか冠が付くと制作費が集まりやすいもんね。やっぱり演劇ってお金かかるから。そして演劇は自分の身体と相談しないといけない。東京のライブハウスで無声映画の弁士をやるんですけど、寺山さんの作品を掘り下げて朗読をしていくのか、まだまだ何か紹介できることはあると思います。

――その「三上博史 歌劇」と、寺山さんと出会いとなった映画「草迷宮」、三上さんが演劇に舵を切った「青ひげ公の城」などが衛星劇場で放送されます。そのことに関して感想をいただけますか。

三上:寺山さんの没後40年という冠があってこそ組まれた企画ですけど、そこに選んでいただいた3本は、寺山さんと僕との関わりと、僕自身の人生が符合しているんですよね。「草迷宮」がなかったら、僕はこの世界にはいなかった。そこでものすごく僕の人生は変わったわけです。それが15歳で、25年経って40歳、寺山さんの没後20年に出演したのが「青ひげ公の城」でした。実は僕は30代で役者を引退しようと思っていたんです。いろんな事情があって、主に映像ですけど、人前で演じることが恐怖でしかなくて、もう無理だと思っていました。そのときにパルコから声がかかって、じゃあこれを最後の作品にしてやめようと思ってやってみたら、ここにも演じる場所があると知って、演劇に出演するようになったわけです。「青ひげ公の城」の後で旅に出て、出会ったのが「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」。そんなふうに人生の転機にうまくはまっている。今はよくわからないけど、「三上博史 歌劇」ももしかしたら後年には自分について認識する作品になるかもしれないですね。どういう芽が出てくるのか楽しみです。

※「演劇実験室◎万有引力」の「◎」は正しくは白丸の中に黒丸。

取材・文:今井浩一

「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」撮影:引地信彦  写真提供:MMJ

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