「アイシテマス!」熱狂的なファンにも負けないくらい、SMAPとファンに愛を叫んできた香取慎吾。クールに見えるが、映画マニアでエッセイストとアイドルとしては新しい道を開拓したパイオニア稲垣吾郎。普段は穏やかなキャラでも、演技となれば人物が憑依したかのような演技で魅了してきた草なぎ剛。ーーSMAPとして25年の歴史に終止符を打った2016年。2017年9月8日、稲垣、草なぎ、香取の3人は所属事務所との契約満了に伴い、再び大きな転機を迎える。
「21世紀は、スポーツと音楽を愛する彼らの時代だ!つまり、SMAP時代の“スケートボーイズ”を大紹介!!」
「POTATO」1988年4月号に「初見参!」と題して紹介されたスケートボーイズ。メンバーは12人。光GENJIの弟分としてバックダンサーを務めていた。同年、その中から中居正広、木村拓哉、森且行、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の6人が集められ「SMAP」が誕生した。
結成から3年、1991年9月9日「Can't Stop!!-LOVING-」でデビュー。当時はまだ「レコードデビュー」という言葉が使われていた時代だった。
草なぎはデビューの話を聞いた時に、「『僕ってSMAPだっけ?』って思った。ほら“SMAPデビュー”っていうでしょ。だから『あれ?SMAPがデビュー…僕って何だっけ…ああ、僕、SMAPだ』って(笑)」(POTATO/1991年9月)
当時からちょっと…いや、かなり天然すぎる草なぎ。
「よく『ファンのみんなのおかげ』っていうけど今回のデビューで、それをものすごく実感したよ。ファンの力ってスゴイと思った」。(POTATO/1991年9月)
デビュー前の1991年元旦。武道館で初の単独コンサートでは1日3公演、翌1992年には1日5回公演というハードスケジュールをこなしていた。2006年のインタビューで夏休みの思い出を聞かれると、「コンサート」と答えた香取。「10歳くらいで事務所に入ったときから、夏はずーっとコンサートに出てますからね。それはもう「遊びたい」なんて思わせないくらいのハードスケジュールでしたよ」(ポポロ/2006年10月号)
小学生だった香取を筆頭に、青春時代を「SMAP」に捧げた彼ら。司会やトリまで務めたNHK紅白歌合戦、冠番組の「SMAP×SMAP」は20年続いた。楽曲も「夜空ノムコウ」や「世界にひとつだけの花」など3作品でミリオンセラーを達成。グループの成功だけでも素晴らしいのに、個人でも成功しているのがSMAPのすごいところ。ドラマやバラエティ、映画、舞台と、記録も記憶も残した。
音楽番組が相次いで終了した「アイドル氷河期」にデビューしたSMAPは、独自の路線を開拓することで不遇の時代を駆け抜けた。
5人をパズルのピースにたとえた草なぎの言葉に、SMAPの人気の秘訣が詰まってる。
「そのパズルも合わさり方が毎回違って、どこのパーツが強く光を放つかで輝き方が変わるのが自分たちでも予測不可能で面白い」(Okiraku2)