福原遥、小野花梨、伊藤健太郎が感じた20代のリアル「成長って必ずしも良いことだけじゃない」<透明なわたしたち>

2024/09/16 20:05 配信

ドラマ インタビュー

「透明なわたしたち」に出演する福原遥、小野花梨、伊藤健太郎撮影=宮川朋久

ABEMAオリジナル連続ドラマ「透明なわたしたち」が、本日9月16日(月)夜11時より、全6話で配信される。主演は福原遥。脚本と監督を映画『Winny』の松本優作、プロデュースは映画『正体』を手掛けた藤井道人が務める。それぞれ苦悩を抱える登場人物を通じて、今の20代をリアルに描く今作。WEBザテレビジョンでは、福原、小野花梨伊藤健太郎の3人に作品の魅力などについて語ってもらった。


凶悪事件と20代の苦悩を描く群像サスペンス

本作は、どこか居場所がないと感じてしまう20代の苦悩と凶悪事件を描く、社会派群像サスペンス。福原演じる週刊誌ゴシップライターの中川碧が、2024年東京・渋谷で起こった身元不明の青年による凶悪事件の犯人が高校の同級生ではないかと気づき、高校時代を回想しながら、真相を追いかけていく。

碧の高校時代の同級生で、東京での生活をあきらめ、地元の富山で一児の母になった齋藤風花を小野花梨、碧や風花らと過ごした順風満帆な高校生活から一転し、渋谷の片隅で闇バイトを行う喜多野雄太を伊藤健太郎が演じる。共演はほかに倉悠貴武田玲奈ほか。

――凶悪事件の犯人を追う展開が縦軸にありながら、20代の登場人物それぞれが抱える苦悩も深く描かれているシリアスなトーンの作品ですが、実際作品に携われてみていかがでしたか?

福原:今の若い人たちの悩みだったり、生き方がすごく伝わってくる作品で、リアルな描写がされていました。自分自身も細かい部分まで表現できたらと思いながら、台本を読んでいたのですが、今の人たちってすごく孤独を感じてる人が多いのかなと個人的にも思っていて。
ただこの作品を見ることによって「自分だけじゃないんだ」と、感じてもらえるのではないかと思いました。

小野:悪人とかヒーローとか、そういう分かりやすい肩書きで人物を描いていないところが私はとても好きで。 そういうわかりやすいところじゃない部分、わかりにくい部分でやっぱり人って生きているじゃないですか。いいこと、悪いことって一言で言えないものがあまりにも多い中で、そういう人物の描き方をしないことが、私は愛に感じたんですよね。

今日はいいことをしたけれど、明日は悪いことをしちゃうかもしれなくて。でも次の日はいいことができるかもしれなくて…。完璧じゃなくてもいいんじゃないかって。

少しでも悪いことをしたら、叩かれてしまう世の中ですけど、やっぱりそういうわかりやすさにアンチテーゼをしているような気がして。そういった作品の中の一部にいられることは、 自分の中でも1つ、今この時代を生きてることの答え合わせをさせていただいてるような気がしていますね。
誰かの許しになるような作品なのではないかなと個人的には思ってます。

伊藤:僕は…喜多野というキャラクターを演じていく中で、理解はできたんですけど、共感はあまりできなかったんですよ。自分とは結構かけ離れているし、自分にはない感覚を持ってる人で。
ただ、人が悪いことや過ちを犯してしまったときに、周りはどうしてもその人がやったことだけを見てレッテルを貼ってしまうんですけど、実は、なぜそうなったのかという理由やバックボーンがみんなそれぞれあって。

悪いことは悪いけど、そうせざるを得なかった理由があったり、一概に責め切れない部分があるというのを、喜多野という役を通じてすごく感じましたね。この作品を見ていただいて伝わってほしいと思いますし、自分は演じさせてもらったことでより深く気づいた部分もあったので、この役をやれてよかったなって思いました。


松本監督が届けたいものが明確だった

――今作は、ABEMAで配信される作品ですが、演じる側として、地上波のドラマの現場と違うと感じられたことはありますか。

伊藤:演じる上では大きな違いというのは、あまり感じなかったですね。ただ今回、僕はタバコを吸うシーンがあるんですけど、地上波だとタバコを吸うシーンひとつが難しかったり。そういった細かい部分で、配信のフットワークの軽さや表現できることの広さは感じましたけど、演じる上で僕はあまり違いはなかったかなと。

小野:この作品に関しては、やりたくてやっている、描きたくて描いてる。そのテーマの強さをすごく感じましたね。

福原:今回は松本監督が脚本を書いてご自身で監督もされているので、松本監督がどれだけこの作品に思いをかけていて、どういうものを届けたいっていう意思が明確に伝わりました。そういった意味では、私は監督が思い描いてるものを自分も作れるように頑張ろう、といった思いで現場にいました。

――皆さん、それぞれの高校時代も演じられていますが、現代パートと演じ分ける上でこだわられたところはありますか?

福原:テンションと声にはこだわりました。高校時代はテンションと声を高くして。逆に現代パートでテンションを上げすぎてしまって、監督にも「もうちょっと大人っぽくして」みたいに言われてしまったりすることもありました(笑)。

伊藤:喜多野は…大人になった時の喜多野がまぁ暗いんですよ。ずっとフードかぶって。いわゆる闇落ちですよね。だから、なるべく学生時代は喜多野のキャラクターとして、明るさがあればあるほど、大人になった時の暗さが際立つかなと思ったので、そこは意識しましたね。

小野:成長するって良い意味で使われがちな言葉ですけど、 必ずしも良くないパターンもある気がするし、悲しい時もあると思う。高校時代って未熟さの塊だと思うんですけど、じゃあその未熟って悪いことなのかといったら、全然そんなこともない場面もあったり。 それを私はすごい感じていましたね。成長してしまうことの悲しさと、未熟が故の美しさを、対比として描けるようにちょっと意識しましたね。

――先ほど伊藤さんは、ご自身の演じた役柄に共感はしなかったとおっしゃっていたんですけど、お2人はご自分が演じた役に対して、共感できるところはありましたか?

福原:…あんまり無かったですね。

伊藤:悩んでたもんね。

福原:結構、葛藤もしましたが、監督は「こういう子は絶対いるから」って、すごく強い思いを伝えてくださって。それこそ嫉妬だったり、周りと比べてしまうという感情はきっとみんなが持ってるもので、そういった部分を膨らませながら演じていました。

小野:私も共感は…やっぱりしがたいですよね。 ただ、理解はできるっていうところでやってはいましたけど。でもそれって、自分がこういうお仕事させていただいてる中で、 感情にストップをかけている部分もあると思うんです。

自分が本当に田舎で小さな小さなコミュニティで暮らしていたら…うん、全然そういうことをしている可能性もあるなというか、もうそれはタラレバの話なのでわからないですけど。そういう、少し手を伸ばせば掴めそうな感情や感覚はとってもあったなと思います。全く分からない人を演じてるような気分には一切なってないです。


自分の居場所に対する悩みはずっと持っている

――この作品では「今の自分の立ち位置はこれでいいのだろうか」という20代の若者の苦悩が描かれていますが、皆さんはそういった悩みを抱えられたことはありますか?

小野:厳密に言うと多分ずっと思っていると思うんですけどね…。そうやって自分を律しながら生きてる感覚があります。でも、だからといって別に何にもなれないし、これ以上のものにはなれない気がして。

伊藤:僕もないですね。僕はもうこれでいこうって。目の前にあることを頑張っていこう、今はこれに向き合う!みたいな感じですね。

福原:私は、将来的にこうなりたいという目標に対して、今このままでいいのかなと思うことはあります。自分の居場所に思い悩むというよりは、理想に向けて前向きに考えるという意味で。今以上にこれをもっとやらなくちゃとか、まだこのままでは足りないなとかは思うことがあります。

――皆さん、基本的にはポジティブに自分と向き合う感じで

小野:ポジティブといえばそうかもしれないですけど、 多分どこかで諦めもあると思いますね。悩んだところで、明日私が別人になれるわけじゃないですし、じゃあ配られたカードを磨いておくかみたいな、そういう割り切りはあると思います。

――最後に視聴者へこの作品を通じて伝えたいことをお願いします

福原:松本監督がこの作品を作るにあたって、今の若い方がどういうことで悩んでいるのか、どういう葛藤があるのかをすごく考えて作られていて。本当に今この時代にこの物語を発信するということは、すごい意味があると思いますし、若い方の悩みを少しでも和らげることができる作品になればいいなと思います。

いろいろな感想や思うことがあると思いますが、何か少しでも寄り添える作品になればいいなと思うので、綺麗事じゃなく、ちゃんとリアルに描いた若い子たちの苦しみ、葛藤というものを見ていただいて、いろんなものを受け取っていただけたら、うれしいです。