ビートたけし ロングインタビュー「バラエティーはもっと計算して作る時代だと思う」

2017/11/30 11:54 配信

芸能一般

悪ガキ精神で無茶なヒット企画を連発


【写真を見る】自身が表紙に写る'89年8月18日号を手に、思い出に浸る撮影=山田大輔/取材・文=magbug/スタイリスト=市村幸子


以後は破竹の勢いで「―元気が出るテレビ!!」(’85~96年、日本テレビ系)、「―風雲!たけし城」(’86~89年、TBS系)と、次々とヒット番組を連発。「スーパーJOCKEY」(’83~99年、日本テレビ系)の名物コーナー「熱湯コマーシャル」など、今では絶対にあり得ない無茶な企画は、たけしの代名詞になっていった。

「テレビの全盛期だから『これはやっちゃダメ』とか全然ないんだよね。俺なんか足立区の悪ガキだったからさ、当時の遊びをそのままテレビでやってただけなの。(たけし)軍団を逆さ吊りにして水に漬けたり、緑山スタジオの敷地内に城建てて素人を泥だらけにしたり、よくやったよ」

「―たけし城」がいまだ海外で“類似番組”が絶えないのも、彼が遊びのルールを考える天才である証明だ。

「この前、もし著作権みたいなものを主張してたらって計算したヤツがいてね、70~80億円はもらってるはずだって。実際はタダなんだけど(笑)。『―元気が出るテレビ!!』でも、テリー伊藤っていう頭のおかしい天才がいてさ(笑)、くだらない企画ばかり持ってきたな~。『バカに東大生の血を輸血しても、やっぱりバカなのか』なんて、撮ったけどこれはさすがにマズイっていってボツになった企画もたくさんあるんだ」

「笑われない」ために笑いを捨てた役者道


バラエティーで“殿”としての絶対的地位を確立する傍ら、彼が役者としての研さんを積んだ場所もまた、テレビだった。

「『戦場のメリークリスマス』(’83年)を映画館にそっと見に行ったとき、スクリーンに俺が出てきた瞬間、観客が一斉に笑ったんだよね。あ、みんなは(役の)ハラ軍曹を見てるんじゃないんだ、ビートたけしを見てるんだって、すごいショックだったの。そのイメージを切り替えるために、あえて凶悪な役ばかり演じてやろうと思ったんだ」

女性8人を次々に殺害し、後に死刑となった大久保清や、日本初の劇場型犯罪と言われる「寸又峡事件」の金嬉老といった実在の犯罪者を演じることで見せた、今に通じる“すごみのある狂気の芝居”は、当時の“売れっ子芸人・ビートたけし”にとっては賭けでもあった。

「お笑いが凶悪犯の役なんかやると、イメージがついて客が笑わなくなるよ、なんてかなり止められてね。だけどそんなこと関係ない、お笑いはお笑い、ドラマはドラマ。たけしは役者としては悪い役でも何でもやるんだってイメージをつけたかった」