ビートたけし ロングインタビュー「バラエティーはもっと計算して作る時代だと思う」

2017/11/30 11:54 配信

芸能一般

深夜での密かな挑戦とバイク事故からの再起


「『賞が欲しい』のは、偉くなりたいんじゃなくて、お笑いのため(笑)」と語る撮影=山田大輔/取材・文=magbug/スタイリスト=市村幸子


 ’90~00年代には、視聴率のプレッシャーも少なく、企画の自由度も高い深夜番組にも触手を伸ばす。「オールナイトニッポン」のテレビ版「北野ファンクラブ」(’91~96年、フジ系)や「たけしのコマネチ大学数学科」(’06~13年、フジ系)など。自身も楽しめる企画を追求した結果、後者は海外でも評価を受けた。

「そう、数学の番組ね。予算もかかんないし、それなりに好評だったのに終わっちゃった。うーん…結局さ、理想を言うとテレビは番組購入式になるべきだと思うよ。この番組だけは見たいからお金払う、というね。今は番組1本の予算が極端に減ってるんで、イスだけ並べて、ただトークするみたいな番組が多くて。それじゃ何かつまんないよね」

‘94年、バイク事故に遭い、7カ月もの休業を余儀なくされる。今や北野武監督作の中でも屈指の傑作と名高い映画「ソナチネ」(’93年)の公開からおよそ1年後のことだった。

「『ソナチネ』っていうのは、自分としては相当すごいものができたなって手応えがあったんだけど、ふたを開けてみたら、箸にも棒にもかかんない。1週間で公開が打ち切られちゃったの。今思うと、ちょっとヤケクソになってたのかもしれないね」

そして復帰後は、純粋なお笑い番組より「たけしの万物創世紀」(’95~01年、テレビ朝日系)など情報バラエティーでの司会を多く務めるように。

「事故で顔がすごいことになっちゃうし、死にかけたヤツってことはもう、お笑いとしては致命的なわけ。で、そんな状態が何年か続いたときに、情報番組とかにちょっと顔を出してて…俺にとっては停滞期というか。でも、ここで小休止しておいて、絶対にひっくり返してやるんだっていう気はあって。そこから映画で賞を取りだして、また新しいことを考えられるようになっていったね」

「大御所」「巨匠」と讃えられるようになっても、かぶり物や気ぐるみを好み、「FNS27時間テレビ」(フジ系)では毎年、人気キャラ“火薬田ドン”で体を張る。その振り幅の大きさこそが、ビートたけしの行動原理であり、彼の芸人としての矜持(きょうじ)でもあるのだ。

「お笑いは、落差だから。普通の人がくだらないことやるより、有名な賞を取った偉い人がやった方が面白い。だから理想は、ノーベル賞を取った後に、立ちションや食い逃げで捕まりたいわけ。俺が『賞が欲しい』って言ってるのは、偉くなりたいんじゃなくて、お笑いのためなの(笑)」