「視聴率競争という古い価値観にこだわるのは本当に意味がないこと」【テレビの開拓者 / 角田陽一郎】

2018/05/14 06:00 配信

芸能一般

角田陽一郎氏は、1994~2016年にTBSテレビのバラエティー班に在籍し、「さんまのスーパーからくりTV」(1992~2014年TBS系)や、「中居正広の金曜日のスマたちへ」(2001~2006年TBS系)などを担当。2009年には、TBSの子会社として動画配信会社・Goomoを自ら立ち上げ、新たなビジネススタイルに挑んできた。現在はフリーランスの立場で、テレビのみならず、ネットや出版、イベントなど、さまざまなフィールドで活動する“バラエティプロデューサー”を名乗っている角田氏。そんな彼が唱える、真の意味での“テレビの開拓”とは――?

明石家さんまさんの洞察力の鋭さにはいつも驚かされていました


かくた・よういちろう=1970年8月17日生まれ、千葉県出身


──1994年にTBSテレビに入社されていますが、テレビ業界を目指されたきっかけは?

「きっかけと聞かれると、『オレたちひょうきん族』(1981~1989年フジテレビ系)を見て、あのスタジオの隅で笑ってるスタッフに自分もなりたかった、ということでしょうかね。TBSに入ってバラエティーの制作を志望したのは、『何でもやりたい』と思ったから。バラエティーを選んでおけば、ドラマでも報道でもスポーツでも、真面目なことからエロいことまで何でもできるなと思ったんですよ。今、僕は“バラエティプロデューサー”を名乗っていますが、これもバラエティー番組のプロデューサーという意味ではなく、いろいろなことをプロデュースする、という意味の肩書なんです」

──テレビマンとして最初に関わられた番組は何でしょうか。

「『テレビの王様』(1994年TBS系)という、『テレビ探偵団』(1986~1992年TBS系)の後番組です。ADとして、膨大な過去の映像資料をひたすら見ていくのが仕事でした。『ヤッターマン』(1977~1979年フジテレビ系)に出てくるメカや、『8時だョ!全員集合』(1969~1985年TBS系)のコントを全部チェックするみたいな。TBSは、1995年に今の新局舎に移転してるんですけど、スタッフルームに何万本という過去の番組素材があったので、引っ越しがものすごく大変だったのを覚えてます(笑)」

──テレビ好きとしては、そんな大変な仕事も楽しんでいたわけですか?

「いやいや、ADのときは何回か脱走してますんで(笑)。当時は、ADは上の言うことを何でも聞けっていう時代でしたけど、『何で入社が早いだけの先輩から叱られなくちゃいけないんだ』なんて言ってる、生意気なADでした(笑)。今、働き方改革ということが言われてますけど、その第1世代じゃないですかね。実は当時のことは、ドラマなり小説なりにして、働くとは何なのかを自分なりに再定義したいと思ってるんですけど」

──「さんまのスーパーからくりTV」では、十数年にわたってADやディレクターを務めたそうですね。

「『からくり』の現場は、面白いVTRを作って、明石家さんまさんや関根勤さんたちを笑わせたら勝ち、という世界で。先輩も後輩も、局員も外部のスタッフも関係ない、ガチンコの面白合戦が楽しかったですね。さんまさんからは本当にいろんなことを学びました。僕が初めてディレクターを務めたのは、『さんま・玉緒のお年玉 あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(1995年~TBS系)だったんですが、さんまさんって、番組の企画書を持って行っても、全然見ないんですよ。でも、『おまえらがやらせたいのは、こういうことやろ?』なんて言いながら、企画のポイントを的確に言い当ててしまう。その洞察力の鋭さにはいつも驚かされていました」