スージー:フリッパーズ・ギターについては、何が起きているのかよく分からなかった。
マキタ:俺も全然分からなかった。
スージー:人気に火が付くのは翌年(1990年)のアルバム『CAMERA TALK(カメラ・トーク)』、「恋とマシンガン」。ドラマ「予備校ブギ」(1990年、TBS系)の主題歌ですね。
マキタ:おしゃれなムーブメントが起こっているのはなんとなく分かった。スチャダラパーとか含めて。当時僕の中で重要だったものが「冗談画報」という番組(注:1985年からフジテレビで放送。新進気鋭のお笑い芸人やミュージシャンを出演させていた)。
スージー:泉麻人司会ですね。
マキタ:あの辺のテリトリーですよね、雑誌「宝島」の文化とか。そこで新しい演劇とか新しい音楽を知る。だけど、そこに入っていくことにドギマギした自分がいて。地方出身のコンプレックスもあって、フリッパーズは特に高級な気がして、気後れした。スチャダラパーの冗談っぽい感じだと分かるんですよ。まだ理解しようと思えるんですけど。ホント、フリッパーズはハイソ過ぎてね。
スージー:煙幕をまいて、これがオシャレなんだ、これが最先端なんだと、田舎者を寄せ付けない感じが逆に魅力と言いましょうか。僕なんか中途半端な位置にいたんで、これは聴いておいた方が得かな?という思いもありましたけど。
――フリッパーズ・ギター解散は衝撃的でしたよね。
スージー:僕ね、行きましたよ。最後のコンサート。渋谷だったかな? 『ヘッド博士の世界塔』は、悪い料理食べちゃったのかな?と複雑な印象でした。けど好きでしたよ。「ドルフィン・ソング」とか。
――サマーソング、2人のセレクトどちらにもザ・ブルーハーツが出てきました。
スージー:隠しても隠しても、自分の血中マーシー(真島昌利)濃度が高い。もうその辺は奥さず隠さず出していいんじゃないかと。
マキタ:スージーさんという人は、言うなれば“インテリ”ですよ。マーシーもヒロト(甲本ヒロト)もそうなんですよ。
スージー:インテリですよねえ。中原中也のデザインされたTシャツを着ていたり。
マキタ:マーシーって翻訳機が無かったら、中原中也とか、文芸度が高そうな、友部正人とか、知りようがなかったもの。武蔵野文化とかね。マーシーがいてくれなかったらたどり着けてない。
スージー:これは『夏のぬけがら』の話をせざるを得ませんね(笑)。
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