マキタ:佐野元春さんが好きだと、ビート・ジェネレーション系の人、ウィリアム・バロウズとか、ジャック・ケルアックとか、佐野さんは当たり前のように語る。「知らないよ」って思いながらそれに頑張って食らいついていこうとしたんですよ。あの世代の人にはそういう臭みがあるんですよね。
さらにさかのぼるとジャズとかクラシックは教養であったと思うんです。その下の世代はロックが教養で。ジャズやクラシックが教養だった人たちは、ロック、パンクロックをバカにするところがあった。ヒロトさんとかは、ラモーンズのようなパンクロックがカッコイイんだという知性ですよね。それを僕らは「おぉ!」と思ったんです。
スージー:たけし、タモリはモダンジャズ。ビートたけしさんも1970年代に新宿のジャズ喫茶で働いてますよね。ダウンタウンがヒロトのことが好きで、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(1991~1997年フジテレビ)でザ・ハイロウズを使うとか、ダウンタウンとブルーハーツ、ハイロウズは響き合うものがあったんでしょうね。
マキタ:相通じる書き換わった知性という感じがしますね。ブルーハーツにピュアな自分を肯定された感じとか、ダウンタウンに通じたものを感じます。
スージー:清水ミチコさんがインタビューで語っていたんですが、「夢で逢えたら」(1988~1991年、フジテレビ)を東京で撮っていた時、大阪での人気に比べて東京ではすぐには爆発しなくて、打ちひしがれてた新幹線の中で松本人志はブルーハーツを爆音で聴いていたらしい。ホント好きなんでしょうね。あれはいい話でしたね。
マキタ:習うべきモデルとか、教養のいろはの「い」にジャズとかクラシックがない世代が出てきた。より大衆文化とかも分厚くだんだん歴史が重なるに連れ、ハイカルチャーなものじゃなくて、みんなが遊べる道具としてのロックとか、アニメーションや漫画にしても旧世代の人たちがガラクタ扱いしていたもの、卒業していくべきものとしていたものたちが、どんどん渦高く積まれて、アーカイブとなっていった。それを我々の下の世代は当たり前のものとして栄養分にしてる。
そこには翻訳してくれる人がいたんですよね。それがダウンタウンであり、ブルーハーツであった気がしますね。スージーさんの世代は、書き換えの中に当事者感を持っていたんじゃないかと思うんですよ。
スージー:なんだか深い、イイ話になってきましたね。
マキタ:スージーさんのいとうせいこうさんとの関わりとか、好奇心の領域が似ている人間だから近くにいるんじゃないですかね。2010年代以降に、我々が極北の地でこういうことを発信できていること、シンパシーを持っている人たちがいてくれることを、うれしく思いますね。
スージー:インテリジェンスで音楽を作っている人もいないし、語る人もいないんで、我々老体にムチ打って「やんなきゃ」という使命感が多少ありますね。
「ザ・カセットテープ・ミュージック」、8月10日(金)放送の「マキタの夏~山梨グラフィティ~」でも、マキタスポーツの青春回顧談の一方で、文化論的トークをたっぷりと展開。特にキャロルの下りは、注目です。
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