――色々な挑戦を今作でされていると思うのですが、そういうアイデアは自然と出てくるのでしょうか?
書いていると自然と出てくるんですけど、156回あって、1話につき考えられる時間は3日しかないんです。
「自然と(アイデアが)浮かばなかったら私はどうなるんだろう」と、一日目、二日目は追い込まれて本当に苦しくて、「今までちゃんと浮かんできたから今回も浮かぶに違いない」と信じるしかないのですが、毎回「どうしよう」と悩む瞬間があります。
そうすると鈴愛ちゃんみたいに甘いものを食べて、糖質を補給して頭を働かす・・・そして、ハッとアイデアを思いついて「これだ!」と書き始めてほっとする…でも次の三日間がすぐに訪れてくるというのが続きましたね。
私にどこまで才能があるのだろうかと試されている気持ちになります。でも、なんとか全部出せたかなと。物語の起伏もありますが、1話につき、ひとつでも面白い展開、ハッとさせるエピソード、セリフなどないといけない、と苦心しました。
――ラブストーリーの相手の集大成と律のことを仰っていましたが、律はどう作り上げたのでしょうか?
律を演じる佐藤さん自身もインタビューで仰っていましたけど、自分でも律の人物像が見えなくて、“色々な人の視線から見た律”という人物像で出来上がってるんですよね。
律は何を考えているのか分かりづらくて、そういうところが魅力だったりすると思うんですけど、156回書いている間に自分でも律との距離を取りかねていた時がありました。
「意外と情けなくて、分かりやすい人にしちゃおうかな」と思う瞬間もあって、そういう面もお母さんが亡くなりそうになって眠れなくなるというので入れたりしてますが、広い心で人を包むタフさもあって、ちょっとゆらゆら人物像のまま進んだんです。わざと。
それが自分としては良かったのかなと思っていて、佐藤さんはとてもお芝居ニュアンスが出る人なので、私のゆらゆらを彼がぐいぐいっとリアルにしていったのかなと。彼はそれができると分かったので、あえてゆらゆらのまま進めていきました。
遊びと言うか、幅が広がった気がします。律はこういう人という焦点を結ばないまま最後までいきたいなという気持ちになってきて、鈴愛はすごく捉えどころがあって輪郭のある人なので、それに対して律はスポンジみたいなに人を吸収すると言うか、人の形を受けて自分の形になって、それでも強いということで終わらせたかったんです。
「こういう人いるよね」というのに落とし込みたくなかったのかなという気がしていて、ある種のファンタジーというか、色々な律がみんなの心の中にいたらいいなと思いながら書いていました。
――約10カ月、ヒロイン・鈴愛を演じきった永野さんの印象は?
毎日出ているのは鈴愛を演じている芽郁ちゃんだけで、毎日書いているのも私だけなんですよね。それはそれは、相当に大変なことなんです。朝ドラはチームで書く作家さんも多いし、そして、クラッシュする人も少なくない。本当に過酷な仕事です。
書く前からヒロインと脚本家が大変だというのを聞いていたんですけど、「それはそうだな」と思いました。
私は自分だけが辛いのかなと思ってましたけど、話を聞くとやっぱり芽郁ちゃんも本当は辛かったらしく、笑えなくなった日もあったし、眠れなくなった日や泣いてる日もあったと仰っていて、初めて、私と同じようにもしくは若い分それ以上に苦しんでいる人がもう一人いたのだなと思いました。
芽郁ちゃんは18歳で私の娘より若くて、その若さでよくこの重圧を乗り越えたなと。現場で寝ている姿をよく見ていたのですが、夜は不安になって眠れなくて、家に帰っても鈴愛が抜けないということを聞いて、タフなだけじゃ感受性豊かな鈴愛は演じられないと思うので、彼女がどれだけ苦しかったのかを思うと、年齢はすごく離れてますけど同志だったなと思います。
“朝ドラ”は撮影の時間が長いので、最後に緊張感が抜けて鈴愛の表情が平らになってくることを心配していたんですけど、彼女はそういうことも全くなく、ずっと集中してお芝居をしてくれました。
――終盤の見どころを教えてください。
ちょっと衝撃的です。「炎上するかも…」という覚悟はできていますが、それを書くことが必要だったから書いたということで、決して炎上をしたくて書いたというわけではないし、煽るために書いたわけでもないです。
確信のあるものしか書けないので、それを書かないと物語が終われないと思ったんです。
“朝ドラ”だからこういうことはやめておこう、という判断はせず、いつも、何がこの物語の本質を一番に表すか、という選択をして来た気がします。
逃げずに書けたのではないかと思います。
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