今回「退位までの遥かなる旅路」シリーズが完結編を迎えるに当たり、1966年に美智子さまが作詞された「ねむの木の子守歌」を歌い、原爆詩の朗読などで平和への思いを1つにしてきた吉永小百合が語りを担当。
4月末にリニューアルオープンした、広島平和記念資料館の音声ガイドを担当して以来の語りを務めることになった吉永が、番組では「戦争と原爆」「被災地の福島」「11回訪問された沖縄」「国際親善」「ハンセン病や公害の教訓」「外国人との共生」など、お二人の歩み、お言葉などを振り返っていく。
上皇さまと美智子さまを“希望の光”と感じてきたという吉永。今回の収録では1つ1つの言葉に万感の思いを込め、「胸がいっぱいになって、(ナレーションの)最後はどう読んでいいか、という感じでした」と明かす。
さらに、「これからは、お出ましになったり、お言葉をお聞きすることがなくなってしまうのだろうと思うと、少しつらいものがありました。
今までにいろいろとお話になったことを、私たちが忘れずに…。例えば、沖縄の人たちに対する思い、ハンセン病の方たちへのお二人の思いを忘れないで、自分たちの生活と共に、いろいろなことに温かい思いを向けられるようにしなければと、今、思っています」と、神妙に語った。
1966年に、美智子さまが作詞された「ねむの木の子守歌」を歌った吉永。美智子さまについて「美智子さまがなさっていらっしゃることに感動しました。美智子さまの後ろを歩いていきたいと思ったこともありました。世界の子どもたちに本を読ませる活動など、本当にいろいろなことをなさっていらっしゃる。いつも憧れている方です」と話す。
また、美智子さまにお目にかかる機会もあり、詩への深い造詣にも感銘を受けたという。
「美智子さまが、永瀬清子さんの作品『降りつむ』を英語に訳されたことで、初めて永瀬さんの存在を知り、舞台で読んだこともあります。(ハンセン病患者だった詩人の)塔和子さんのドキュメンタリー映画(「風の舞 ~闇を拓く光の詩~」)では、詩を朗読しました。
美智子さまが塔さんに会ってくださり、彼女もそれを生きがいに最後まで頑張ってこられたと思います。そういう話はいつまでも残ります。
全てのハンセン病の療養所を訪ねられたというのは、ご公務を超えていらっしゃる。大変なことだと受けとめています」とコメント。
そして「本当に大変だったと思います。上皇さまはご病気もあって、お疲れではと感じるときもあり、いつも美智子さまが支えていらした。
これからはお二人がいらっしゃりたい所へ、さりげなく訪ねられるといいと思っています。お元気で、お二人の人生を作っていっていただけたらと思っています」と、上皇上皇后両陛下のこれまでのご活動にあらためて深い感謝を示した。
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