――どのような物語なんでしょうか。
高嶋:30年以上前によく通っていた屋台のおばちゃんが、実の息子に全身17箇所刺された殺人事件がありまして、それでその事件を通して、人生や人との触れ合いって何だろうみたいなものを考えていく日々をつづりました。
――実体験に基づいたものなんですね。執筆したことで感じたことはありますか。
高嶋:書いてみて思ったのは、僕は到達できない光と影みたいなものにずっとこだわってきたんじゃないかなって思うんですよね。
15歳の時に藤山寛美さんを観て感銘を受けました。僕にとって寛美先生は、自分が100年たっても、決して到達できない光なんです。でも、その光を観ることはできた。感じる事もできた。観たり、感じたことによって自分の人生も豊かになった。加藤敬二さんも100年たっても到達する事はできません。
しかし、観る事はできる。感じる事はできる。つまり、自分の居場所にしっかり立ちながら、到達できない光を観る、感じる。この距離間の中にこそ、人生の喜びがあるのではないか、と思うんです。
また、光は輝くほど影が濃くなるんですけど、2つは表裏一体。その光の世界と影の世界を行ったり来たりする。その光と影は、歳と共に濃くなっていきます。観に行くことすら怖くなるときもあります。
でも、引き寄せられる様に近づいてしまう。しっかりと「間」を取りながら。その行為ができることに幸せを感じますし、また、怖くもなります。でも、やめられないです。ファラオの呪いにかかったように(笑)。
――ちなみに、お二人にとって朗読劇の魅力とは何でしょうか。
高嶋:踊りでいったら素踊りみたいな感じです。いろんなものを脱ぎ捨てて料理する前の素材の味を楽しんでいただけたら。朗読に来るお客さんは演技者の魂みたいなものまで見ようとするんですよ。
でも、声はうそがつけないので全部聞こえちゃうんですよね。だから僕も素っ裸になる気持ちでいるし、お客さんにはそれを見ていただきたい。それで楽しんでいただけたらうれしいですね。
加藤:僕はダンス中心で今までやってきたものですから、演じるに当たって着ることばっかり。でも朗読は着て作り上げるんじゃなくて脱いで真っ裸になる。そこから出てくる人間味のすれ違いがご覧になってて面白いのかなと感じています。
――お二人が共演される「湯たんぽを持った脱獄囚」は、さまざまな所持品が出てくる作品ですが、普段から愛用しているものはありますか?
高嶋:仕事に行く時は常に葛根湯を持ち歩いています。寒いと思ったらすぐ飲んで、風邪を引かないように。鼻声になっちゃうとね、ドラマにお客さんが入り込めなくなってしまいますから。
加藤:僕は老眼鏡とこの時期は花粉症の薬。もうどれだけ苦しんだか。いまの薬ってだいぶ体に優しいんですよね。眠くならないし、喉がカラカラにもならないし、本当に助かりましたよ。
一昔前まではカプセルの薬を中身を減らして飲んでたり、それでもカラカラになって、結局話していると喉がガラガラになってしまって。でも、今は離せないですね。
――最後に公演の見どころをお願いします。
高嶋:3人のスリリングなセッションを、伸ばせば手が届く至近距離で見ていただきたいです。お客さんと一体になれる場だと思うので、楽しんでほしいと思います。
また、立ち見となってしまった5人のお客さんには、3人から心のこもったプレゼントをする予定ですので、ぜひ足をお運び下さい。
加藤:会場はお客様と一体になれるような空間です。朗読の世界に足を踏み入れるのは初めてなものですから、政伸さんの胸を借りていろんなことを教えていただきながら、私がのたうち回る姿をお楽しみください。
でも、3人でやるセッションが今までにない楽しいものになることは確信しています。
取材・文・撮影=永田正雄
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