山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第5回は村上春樹の短編を原作に、吉田羊が息子を亡くした母役を繊細に演じる人間ドラマ「ハナレイ・ベイ」を観る。
「チェアリング」という言葉がある。
野外で使用できる軽量の椅子を持って出掛け、あちらこちらでのんびりすることだ。軽い食事をしたり、飲酒をしたりもする。
私は現在妊娠中のため酒が飲めなくて、お茶を飲むだけなのだが、桜の時季や新緑の時季に、近所の川へ出掛けて、椅子に座って長い時間ぼんやりするのは気分が良かった。
そうして、「ハナレイ・ベイ」を観て、「これは、チェアリング映画だ」と思った。
主人公のサチ(吉田羊)は、19歳の息子のタカシ(佐野玲於)を亡くす。サーフィン中にサメに右脚を食いちぎられ、溺れてしまったのだ。場所は、ハワイのカウアイ島のハナレイ・ベイ。知らせを受けてハワイへ行き、亡きがらに対面して、それから火葬などの事後処理をしていくサチは、泣いたり、異常な行動をしたりといった、身近な人を亡くした直後にありがちな表情や行動は一切見せず、淡々と動いている。
同行した警官から「個人的なお願いがあります。どうか、今回のことで、この私たちの島を恨んだり、憎んだりしないでほしいのです」と言われたところで、イエスともノーとも答えず、ただ、じっと聞く。警官は続けて、「大義がどうであれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。でも自然はそうではない。自然には側のようなものはありません」といった、ちょっと踏み込み過ぎにも思えるセリフも出す。サチは無表情で聞く。そして、遺された荷物をとりあえず受け取り、手形の受け取りは拒否し、日本に帰る。
サチは、日本でピアノ・バーを経営している。そして、その後は毎年、秋の終わりの命日の近くの3週間を休みにして、ハナレイ・ベイを訪れ、ただひたすら浜辺に椅子を置いて海を眺める。
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