“天才”はどうやって育ったのか? 三谷幸喜の幼少期を母親が明かす

2019/09/19 07:00 配信

バラエティー

「直撃!シンソウ坂上」で三谷幸喜(左)を特集(C)フジテレビ

三谷幸喜の運命を変えた1本の電話とは?


また、劇団「東京サンシャインボーイズ」旗揚げや、ドラマ「やっぱり猫が好き」(1988年)脚本のオファーなどについてのエピソードも紹介する。

演劇の世界を目指し、日本大学芸術学部へ進学した三谷は、在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げ。中心メンバーだった西村まさ彦、梶原善、相島一之は、現在も活動を続けている。

旗揚げ当初は全く客が入らず、劇団は赤字運営だったそうで、劇団の活動資金を得るために三谷はテレビの放送作家のアルバイトを始める。だが、企画会議では雰囲気になじめず、積極的な発言ができなかった。

無職状態に陥った三谷だったが、そんな不遇な時期に運命を変える1本の電話が。それが、「やっぱり猫が好き」脚本のオファーだった。三谷は、この作品をきっかけに大ブレークする。

さらに、担当作品に「東京サンシャインボーイズ」の劇団員を出演させることで、劇団自体も有名になっていった。

だが、人気絶頂の1994年に「東京サンシャインボーイズ」は活動を休止。活動休止後、それぞれのフィールドで活躍していた劇団員たちは、活動休止から8年後に願わぬ形で再集結することに。きっかけとなったのは、三谷と大学の同期で、劇団の中で最も頼りにしていた俳優・伊藤俊人さんの早過ぎる死だった。

スタジオで三谷は、活動休止を決めた際の思いや伊藤さんへの思い、そして伊藤さんが亡くなった際の病室での驚くべきエピソードを語る。

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