――糸村にとって村木はどういう存在だと思いますか?
分かりやすく同僚であるとか気の置けない間柄という言い方もありますけど、たぶん「こういう人です」っていう説明はいまだにできないのではないのかなと思っております。
今回にしても、危機にさらされた村木さんの命に対して糸村なりの思惑はあったにせよ、自分にとって村木さんはこういう存在だったんだなという思いに至るような人でもないのかなと。
何一つ村木さんとの相対し方は変わらないですし、変わってしまったら糸村ではないんでしょうね。
二人の関係に影響を及ぼすような価値観の変化のようなものは起こっていないとは思いますけど、間違いなく大事な仲間だという認識は変わらず今まで通り過ごしていくような気がします。
――「遺留捜査」も2011年の連続ドラマ第1弾から数えてもう8年になりますが、上川さんは「映像デビュー」当時のことを覚えていますか?
はい。日本テレビさんの深夜ドラマ「コマクノキモチ」が僕の初映像作品です。脚本は三谷幸喜さん。水島かおりさんが僕の恋人役で、長塚京三さんが水島さんの父親役でした。このドラマは、ちょっと特殊な作品だったと記憶しております。
――どの辺が特殊だったんですか?
それぞれのキャラクターが面と向かってやり合うシーンが一切ないんです。お互いのコミュニケーションは全部電話。しかも、携帯電話が一般的に普及している時代ではないですから固定電話ですよね。
電話を通した会話が展開されるということで「コマクノキモチ」というタイトルがついているんです。
――作品のジャンルは?
会話だけでしかつながっていないからこそ行き違ってしまうズレを描くコメディー。
収録は終始自分の部屋で一人か、もしくは自分の同僚たちがいるぐらい。本来であれば会って話がしたい恋人役の水島さんや、二人の関係を面白く思っていない父親役の長塚さんの立ち居振る舞いを見ることができないんです。
それぞれが自分の家や部屋のセットの中でお芝居しているところを撮影。しかも、カット割りがなくて、物語の頭からお尻まで止めずに撮っていくんです。どこか演劇的な収録方法でした。
――初の映像作品ということで戸惑ったことは?
自分がいつも舞台でやっていた演技形態に似ていながらも、スタジオにはカメラが4、5台あって、自分の一挙手一投足が映されている。それに加えて最後までミスできないという状況だったので、とにかくドギマギしていた覚えがあります。
幸いにして、あまりリテークを出さずに済みましたけど、特殊な撮影現場として今でも記憶に残っている作品ですね。
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