――彩の国さいたま芸術劇場、そして故・蜷川幸雄氏ゆかりの作品には、2009年の「ムサシ」以来のご出演になりますね。
そうですね、もう少しで干支が1周するところでした(笑)。もう戻ることができないと思っていた場所に戻ってこられたんで、よかったというのが率直な気持ち。
しばらくこのムードから離れていた僕がちゃんと返り咲けるのか、あの当時の筋肉を呼び戻せるのか不安ですが、目いっぱい楽しみたいと思います。
――そして“彩の国シェイクスピア・シリーズ”には「タイタス・アンドロニカス」(再演)以来14年ぶりの登場です。
はい。最近は派手な演劇をやっていて、そこからまた古典のシェイクスピアに戻れるっていうのはちょっとうれしいところもあり。
しかもそれが、自分が今一番受けてみたい演出家・吉田鋼太郎だったので…演劇ってどこか筋肉みたいなところがあって、その筋肉が最近徐々に衰えて来てるんじゃないかなとも思っていたので、もう一度、“吉田再生工場”で再生してもらおうかなと思っています。
――「ジョン王」という作品の印象と、演じる“私生児”について教えてください。
脚本はまだ上がってないんですが、いろいろな翻訳を読んでみると…全然面白くない話だな、と(笑)。
蜷川さんが面白くないシェイクスピアを全部後回しにして旅立たれたので、それを継承する鋼太郎さんは大変な仕事をしているなぁと思っていたんですけど(笑)。
そんな作品を、鋼太郎さんといかに面白く、今の人たちが見られるものにするかっていうのがテーマですね。
そもそも、こういったある種の難しさを持つ作品を一緒にやろうって言われて、どういうふうにお客さんに届けようかって一緒にチャレンジできること自体、共犯関係みたいで、すごく楽しいことだなと思っているので。
しかも、「ジョン王」は演出家によって主役や見せ方が変わる芝居で、今回鋼太郎さんがチョイスしたのは、私生児を立てるということ。そこに自分を選んでくれたのはうれしいですね。
――演出家・吉田鋼太郎についての期待は?
鋼太郎さんはシェイクスピアについて考えてきた人の中でもかなり有数の人ですし、実際「アテネのタイモン」(2017年)の稽古場を見せてもらったときも、役者に対するアドバイスが的確で、役者の気持ちに寄り添いながら組み立てていた。とても優れた演出家として、全幅の信頼を寄せています。
「アテネのタイモン」も「ヘンリー五世」(2019年)も、見る前は「すげえ難しい話やるなぁ」って思ってたけど、あの膨大なセリフもすごく聞きやすい感じの日本語になっていて、ちゃんとエンターテインメントに昇華されていた。
僕自身、昔は正直難しいと思っていたシェイクスピアも、年齢とともに感じ方が変わってきています。ただ、あれだけのセリフを途切れさせずにお客さんに届けるには技術がいるので、そういうところをもう1回見つめ直したいなと思います。
――ご自身のキャリアを俯瞰されて、この作品への出演はどんな意味があり、どんな変化をもたらしそうですか?
変化か…。あまりそういう変化とかを自分の中で求めてやってきたタイプではないので、そこに関してはちょっと分からないんですけど…単純に言うと、さっき言ったように10年以上、いわゆる“古典”というものから離れていて、演劇に対する筋肉みたいなものが衰えているんじゃないかなという思いと、鋼太郎さんや藤原竜也たちがやってる作品を見に行く中で、自分だけあの時から立ち止まってるんじゃないかっていう感覚があって。
みんなはどんどんいろんな筋肉を鍛えてるのに、自分だけそこから置いてけぼりにされて、もしかしたら退化していってるんじゃないかっていう不安がある中で、やっと再びそこに戻れる。
もちろん急ピッチで“筋トレ”をしなきゃいけないんだけど、でも何か、あらためてそこに返り咲けて、みんなとの埋まってない溝や距離みたいなものを図れるいいチャンスだな、なんて思ってます。
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