小栗旬、若き日の“蜷川組”での経験が役者としてのベースに「ずっと怒られてましたからね」<Interview>

2020/02/05 07:00 配信

芸能一般 インタビュー

じっくりと思いを語る小栗旬撮影=永田正雄


なりたい時期もあったけど…王様になるのはもうやめました(笑)


――各方面でご活躍されていますが、やはり古典演劇がご自身のベースであるという認識は揺らがなかった?

それは間違いなく蜷川さんと鋼太郎さんのおかげだと思います。鋼太郎さんのお芝居を見ているとやっぱり…すごい抽象的な言い方になってしまうんですけど、超えなければいけない、いや、持続させなきゃいけないエネルギーというか、そういうものがほとばしってる俳優さんだなとずっと思っていて。

そこに憧れ、それを手に入れたいと思いながら生きてきましたが、そこにたどり着くのってすごい大変なことで。それができる人をそばで見られる、それでその人の教えを乞えるっていうのは、自分にとっても貴重なことだなと思っています。

――それだけ、若い頃の蜷川組での経験が大きかったんですね。

いや、もうほんとに毎回大変でした(笑)。蜷川さんにはずっと怒られてましたからね。とにかく“足りない”人間が主演に立ってる状態で、それを“足りてるふう”に見せる作業みたいなことをずっとやっていた。

今となってみたら作品に対する読み解きみたいなものの足りなさを痛感しますし、20代前半だったという人生経験の足りなさもきっと間違いなくいっぱいあったと思います。

もちろん、今この年齢になっても理解できないこともありますが、それでもあの頃よりはかみ砕ける、みたいなこともあるので。その辺の緩急みたいなことは昔よりはできるようになってるんじゃないかと思います。

パワーの強いシェイクスピアの言葉を持続して聞かせられるのは、僕らの世代では今のところ藤原竜也しかいないと思ってるんで僕は。次に自分がどれだけできるのか楽しみです。

――当時を振り返って、「今なら分かる」という言葉もあるのでは。

「楽なところに行き過ぎるなよ、小栗」って言われていた時期が結構あったんですけど、それは「今ならよく分かります」って感じますね。

楽な仕事だと思ってやっている訳じゃないけど、でも、その、ある“答え”が明確に提示されている場所に生き続けているような瞬間が非常に多くて。

そうすると「なぜこうなっていくのか」という経過を探るよりも、みんなでその答えにたどり着くことだけが目的になって、他の選択肢を自分の中で生み出すということをせずに動き出すようになるんですよ。

何かどんどん、自分の精神的な部分で考えることが、とっても安易になっていくというか…。

それを経験してきたので、やっぱりもう一度あらためて、一つの答えではないことをみんなで探すっていう作業みたいなことをすることが、本当にしんどいけど、やらなきゃいけないことだよな~っていう感じですね。

語弊を生みたくはないんだけど、何をもって「楽」かというと、そういうことというか。

もっと言うと…何ていうか、この数年、どんどん“自分も自分に期待しなくなる時間”が増えて来たんです。「まぁいっか、このままやっていけば俺、飯食っていけそうだな」なんて思っている時間が。

何かそういう状態にほとほと疲れ果てたって感じが今なので、本当にいいタイミングでこのお話を頂けたと思っています。

小栗旬撮影=永田正雄


――では最後に、小栗さんにとって、“王”とはどんな存在ですか?

えー!(笑) うーん…吉田鋼太郎なんじゃないでしょうかねぇ。日ごろの振る舞いも王様みたいだなって思うし、傍若無人だなって思う瞬間もいっぱいありますから。

自分も何かの王みたいになりたいなって思った時期もありましたけど、何かもう、時代がそうじゃなさそうだからやーめよって思ってます(笑)。

取材・文=坂戸希和美