監督の五百旗頭から「はりぼて」の映画化の話を初めて持ち掛けられたとき、胃がキュッと縮む思いをしたのを今も覚えています。富山市議会の不正問題は発覚から4年が過ぎ、辞職した市議は刑事裁判などを経て、新たな人生をスタートしています。しかし今、これを映画として世に出し、彼らの過去を掘り返すことは許されるのか? その不満や批判は、会社のみならず、取材で先頭に立ってきた私個人や家族に向けられるのではないか。そう思いました。その不安は今も抱えています。
富山県は全国一の自民王国。富山市議会はもちろん、他の市町村議会や県議会においても、自民党単独での議案の可決が可能で、勢力は圧倒的です。その意味では、自民党の1強他弱と呼ばれる国政を表す縮図と言えます。
「はりぼて」で描いたのは「人間の弱さ」です。市議会の「ドン」として、絶大な権力を振るった中川勇元市議は、辞職後に初めて会見を開き、自らの不正を告白します。「遊ぶ金が欲しかった」その告白は生々しいものでしたが、それを語る中川元市議にかつての強さは見られませんでした。
不正を生んだのは、緩い運用ルールや監視が行き届かない仕組みなどです。しかし、決定的なのは、“不正”を“不正”と思わない空気が会派という組織の中にあったことです。その空気を作ったのは、市民を見ず、また市民からも見られず、閉じられた組織の論理で政治を行ってきた市議たちの驕り(おごり)です。
「先輩議員がやっている」「このくらいなら大丈夫」
市民に信頼され選ばれた議員でさえ持ってしまった「甘え」。まさに「はりぼて」です。
その一方で抱いた思い。「私も『はりぼて』だったのではないか」
私たちは議会の不正を暴いたことで社会から高い評価を得ました。しかし、市民が利益を得られたかと言えばそうではありません。富山市議会は政務活動費の運用ルールを見直し、開かれた議会を目指して本会議のインターネット中継なども始めました。そして、私たちはその姿を取材し続けました。しかし、議会の本質は変わっていません。行われているのは、会派間で互いに過去の不正を追及し合う不毛な争い。議会改革の議論において、是々非々で話し合うのではなく、数の論理で改革案が決定する場面を何度も見ました。私の胸にあるのは富山市議会への『失望感』と自らの報道に対する『無力感』です。
「人間は弱い」
高い志を持って政治家になっても、市民から見られている緊張感がなければ心は緩み、甘えや驕りを生む。理念を持ち続けていても組織の論理に押し流されてしまう現実もある。それは富山市議会に限ったものではないし、組織の中で働く私にも当てはまります。
では、私たちのなすべきことは何か。
それは、より多くの人に地方議会への関心を持ってもらい、その在り方を共に考える。この映画が地方政治に目を向けるきっかけの一つになればと願います。
【プロフィール】砂沢智史(すなざわさとし)●富山県生まれ。営業や編成のデスク勤務を経て2015年春から報道記者に。まじめで素直でとにかくしつこい。コンピューターに精通し、数字にめっぽう強い。変化球が投げられず、取材も人付き合いも常に直球勝負する。趣味はバスケットボール。
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