<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜「はじまり」【短期集中連載/第1回】

2020/08/24 19:30 配信

映画

映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)に向けて同作誕生の背景とそこに込めた想いを語る短期集中連載がスタート


時系列が前後しますが、話は僕が25歳の頃まで遡ります。20歳の頃に深夜番組としてスタートした『はねるのトびら』と共に僕は出世を続け、25歳になった頃、全国ネットのゴールデンタイムの看板を張るタレントになりました。『はねるのトびら』の視聴率は毎週20%を超えていて、他局でも冠番組をたくさんいただいていました。「願ったり叶ったり」という状況だったと思います。生活も良くなりましたし、日本中、どこへ行ってもチヤホヤされるようになりました。様々なモノが手に入ったのですが、しかし、「ただ認知されている」というだけで、あの頃の僕には時代を動かすだけの影響力が伴っていませんでした。

同世代の誰よりも速く山を登りました。しかし、その山の頂上から見えたのは、タモリさんや、たけしサンや、さんまサンといった偉大な先輩方の背中で、彼らのことを追い抜いていませんでしたし、このまま続けても追い抜く気配もありませんでした。絶望的な景色でしたが、この時、その後の人生を左右する大きな気づきを得ました。それは、「競争に参加した時点で負けが決定している」ということです。

先輩方の番組からお呼ばれされる度に「爪痕を残す」と意気込んでいましたが、番組で結果を出せば出すほど、番組が続き、先輩の寿命が伸びます。良いソフトを開発すればするほど、ハードにポイントが入ります。結果を出せば多くの人が喜んでくれるので、ここはついつい見落としてしまいます。大切なのは、「どこで結果を出すか?」を問い続けることで、「一番」を目指すのならば、競争に参加するのではなく、競争を作る側(ハード)にならなければなりません。そう思い、テレビの世界から足を洗うことに決めました。

相方や、仲間たちは、「なんで、こんなに仕事が上手くいっているのに、辞めるんだ」と言いましたが、「上手くいっているのに、この程度の結果しか出ていないから辞める。一番を目指すのであれば、僕らは結果の出し方を根本的に間違っている」と返しました。もちろん、当時は誰からも理解されなかったです(笑)。

次に始める仕事のアテはありませんでしたが、一つ確かなことは、「このままココにいても、エンタメで世界を獲れない」ということ。その人生には用は無いので、仲間と何度も話し合い、テレビの仕事を畳む方向で話をまとめました。

昔から僕は、「目的を達成する為に何をするべきか?」を考えるのではなく、「何をしたら確実に目的が達成できないか?」をリストアップするようにしています。「報われる努力」に巡り会えるかどうかは「運」が絡んでくるので、コントロールすることができませんが、「報われない努力」を排除することには「運」が絡んでこないので、コントロール可能です。ある問題に直面したとき、「自分がコントロールできないコト」と、「自分がコントロールできるコト」を明らかにしておくと、無駄な迷いが消えるのでオススメです。

話を戻します。テレビの世界から足を洗うこと決めた直後から、他所の番組にゲストとして出演し、「新しいレギュラー番組を取りに行く仕事」をしなくてよくなったので、時間が生まれました。

それから2週間ほどでしょうか。いろんな人の話を聞きたくて、毎晩飲み歩きました。そんなある日。タモリさんから「今夜、空いてるか?」と連絡がありました。

タモリさんとは『笑っていいとも』で御一緒させていただき、随分と可愛がっていただきました。二人ともお酒が好きで、仕事終わりに待ち合わせては、遅くまで本当によく呑んだものです。家に帰るのが面倒になった日は、そのままタモリさんの家に泊まらせてもらい、オーディオルームでまた呑んで、翌朝は奥さんと三人で朝ご飯を食べました。朝、家から一緒に『笑っていいとも』に行ったこともありました。今思うと、とんでもない話です。タモリさんからは、音楽の聴き方と、お酒の呑み方を教えていただきました。楽しかったな。

呼び出されたのは銀座の地下にある薄暗いBAR。いつもフザけているタモリさんですが、その夜は違いました。話がありそうな雰囲気が漂っていたので、グラスを一杯だけ空けて、「何かありましたか?」と切り出しみたところ、タモリさんは一切の寄り道をせず、僕に言いました。

「お前は絵を描け」

想いが邪魔をするので、僕は僕のことを正確に評価することができません。一方、他人は、概ね僕を能力どおりに評価を下してくれます。それがタモリさんからの評価ならば、疑う余地はありません。タモリさんが、こうしてわざわざ時間を作ってくださったことが全てで、言葉の真意を聞くほど野暮なことはありません。「わかりました」とだけ答えて、あとは、また、いつもみたくオッパイの話などでフザけながら、遅くまで呑みました。僕が絵本作家になった夜の話です。

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