<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜「博多大吉がキンコン西野に懸けた『期待』」【短期集中連載/第3回】

2020/09/07 17:00 配信

芸能一般

効果もエピソードも生まれない、それが挑戦の現実


エピソードとして面白味のある努力しか世の中に発信されないのは、現場の様子を煙に巻くので実に厄介です。テレビは観られなきゃいけませんし、書籍は読まれなきゃいけないので、「面白味のない努力(エピソード)」がカットされてしまうのは仕方がないのですが、実際のところ、挑戦の現場は「面白味のない努力」だらけです。

今日は朝8時からアトリエに籠り、途中一度だけコンビニに行きましたが、それ以外は誰とも会わず、誰とも喋らず、ただいま深夜2時。座る角度を微妙に変えながら、お尻の痛みを誤魔化す毎日です。こんな毎日がもう何年も続いています。

この連載が「挑戦する人に寄り添うこと」を目的とするのならば、こういった「本当の話」も織り交ぜなければなりません。

3作品目となる絵本『オルゴールワールド』を出したときのことです。「個展×おみやげ」という販売戦略に耐久性があることは確認できましたが、まだまだ絵本をスマッシュヒットさせるまでには及びません。あの頃、僕は思いつく限りの努力を全て試しました。

2012年12月。僕は『オルゴールワールド』のビラを1万枚刷って、都内を走り回っていました。「ポスティング」というやつです。都内は「投函お断り」の建物が多く、1万枚のビラはなかなか捌けません。

11年間続いた『はねるのトびら』が3ヶ月前に終了し、つい最近まで全国ネットのゴールデンタイムに出ていた男が今はチラシを配っている……そんな姿を撮られたら、面白おかしく書かれてしまうことは目に見えていたので、夜な夜な隠れるように1万枚のビラを配りました。寒さで手がかじかんで、思うようにビラが掴めませんでした。

『オルゴールワールド』出版時に、西野が夜な夜なポスティングしていたチラシ


ポスティングしていたチラシの裏側


1万枚のビラ配りは10日ほどかかりました。効果はありませんでした。それによって生まれたエピソードもありません。これが挑戦の現場の現実です。

その頃から、「またダメだった」と考えることをやめて、「なるほど。このやり方は効果が出ないんだな」と考えるようになりました。なんとかして前に進んでいる感じを出したかったのだと思います。しかし、そんな調子で、溺れかけながらバタ足を続けていると、時々、岩場に足が付く瞬間があります。

何者でもない僕の挑戦が受け入れられた2月のニューヨーク


2013年1月。翌月頭に1週間ほどの休みをとる予定だったのですが、たいした結果も出せていないのに何を休むことがありましょうか。何かカンフル剤となるようなアクションを起こさないと、この毎日から抜け出すことができないと思った僕は、「来月の休みを利用して、ニューヨークで個展をする」と言い出しました。とてもシラフとは思えません。何の実績もない男が仕掛ける、こんなデタラメな企画に協力者が現れないことぐらい容易に想像できたので、1から100まで自分一人でやることを覚悟しました。

ニューヨーク中の貸しギャラリーに「そちらのギャラリーをお借りできますか?来月なんですけども…」という狂気じみた連絡を入れ続け、門前払いの記録を更新し続けます。周囲の人間はすっかり呆れ顔。そりゃそうだ。それでも諦めきれなくて、連絡を入れ続けたところ、数日前にメールを送ったギャラリーから返信がありました。

「貴方の絵に感動しました。スケジュール調整は簡単ではありませんが、なんとかします。ニューヨークでお待ちしています」

このチャンスを逃すと次がなさそうだったので、すぐに契約を進めました。

さて。1ヶ月後にニューヨークで個展を開催することは決まりましたが、肝心の「予算」がありません。日本から原画を運ぶにも、現地スタッフを雇って会場設営するにも、まとまった予算が必要です。そのときに出合ったのが「クラウドファンディング」でした。

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