芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し50万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第8回目は、『えんとつ町のプペル』という圧倒的にオリジナルな作品を生み出すために設計した「制作基盤」、そしてそこを貫く「思想」を明らかにします。
「作る」とは何か? つまるところそれは、「作者が思い描いた世界を具現化し、お客さんの手元に届けるまでの作業」であり、あるときから僕は、具現化以降の「届ける作業」を他者に委ねてしまった作品を「未完成品」と呼び、「届ける作業」を他者に委ねる行為を「育児放棄」と呼ぶことにしました。
自分が生み出し名前をつけた作品は、ボロを着てでも、泥水をすすってでも、日本中から殴られてでも、お客さんの手に届ける……それこそが親の務めだと信じて、今日もせっせと届けています。『キンコン西野のサイン本屋さん』というオンラインショップを立ち上げ、そこでサイン本の受注を取り、毎朝、絵本にサインを入れて、梱包し、配送。
小細工などありません。胸を張って言えるのは、僕が世界で一番サイン本を作っているということ。親が子に御飯を作ることを「努力」と呼ばないように、こんなものは努力でも何でもありません。だって、せっかく生まれた作品です。届けたいじゃないですか。
作品の完成を「お客さんの手に届くまで」とすると、販売に口を挟むことになるので、一部の方々から「商売人」と揶揄されることもあります。なんとでも言ってくれ。そんなことより、僕は、生まれてきた我が子を全力で守りたいです。作品制作の最後の工程を「お客さんの手元に届ける」と決めた後、今度は、「作品をどの段階から作るか?」という問いと向き合いました。
たとえば、キャンバスに絵の具で絵を描く以上、それが立体作品になることはありません。その作品が音を奏でることもありません。同じルールで作られたものは、概ね同じ形になります。
少し踏み込んだ例を挙げると、テレビ番組はスポンサーさんから受け取った広告費を「番組制作費」として、そのお金で作られています。したがって、番組のスケールが、その番組に割り当てられた予算を上回ることはありません。番組の企画会議で、どれだけ面白いアイデアが出ようとも、採用されるのは「広告モデルによって割り当てられた予算が回収できる範囲の企画」に絞られます。スポンサーさんからの広告費から作られる以上、「全編フルCGの番組」など作れないわけです。
同じルールで作られたものは、概ね同じ形になります。したがって「まだ誰もやったことがない面白いモノ」を作るには、ビジネスモデルから再構築する必要があります。人はそれを「ビジネス」と呼びますが、僕は「作品作り」と呼んでいます。発想の具現化に制限をかけていない作品は、発想の具現化に制限をかけなくてもいい「制作基盤」から作らないと生まれません。その基盤を作る作業を「作品作り」と呼ばずに、何と呼びましょうか。
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