――細野という男は、どんなキャラクターだと捉えて演じていましたか?
時代に乗って“時代を自分のものにしてやろう”と思っている人はたくさんいると思いますが、細野もその中の1人。現場では、演じるというより細野として生々しく生きることを意識していました。
カメラが回っていないところでも最後の最後まで感情を絞り出して何度も涙が出てきたり。そんな自分を、藤井監督をはじめとする制作部や技術スタッフ、俳優部が全部受け入れてくれたのを感じると、こういう組がたくさん増えればいいなと感じていました。
もし「映画って何ですか?」と聞かれたら「これが映画です」と言える作品です。それはこの作品が完成するまでの全てのプロセスからも言えることです。
――細野として3つの時代を生きていく中でどんなことを感じましたか?
それぞれの時代がどう映るのかすごく楽しみだったんですけど、細野としては最後の2019年が一番苦しかったかもしれません。
もう根性論も届かない。人間臭さを殺したビジネスライクの時代になってしまっているんですよね。昔だったら隣人の顔も知っていて、しょうゆの貸し借りや食べ物を分け合ったりすることなんて当たり前だったんですけど、そういう時代ではなくなってしまって。
人との距離感を保つこと、隣の人の顔を知らないことが自分を守る術になっている。それが悲しくて悔しくて仕方がない。これは、アウトローの世界に生きている細野だけではなくみんなが思っていることなんじゃないかなと。
物事の根源や自分の価値とは何なのか。細野として生きていた時は、そういう思いを抑えられなかったような気がします。
――山本(綾野)と細野の関係も時代と共に変化していきますが、第一章の1999年は2人ともいきいきしていますね。
あれが一番気持ちの良い人間関係なんじゃないかなって思います。好きなら好きでいい。会いたい人に会いたい。規律やルールや秩序など、いろいろ守らないといけないことはあるけど、人と人の関係はやっぱり濃くないとダメなんじゃないかなって。そういう中で必死にもがきながら頑張っている様が人間臭くて美しいなと感じました。
ただ、30代の自分が10代を演じたらどうなるんだろうっていう思いはありましたけど(笑)、撮影をしていてすごく楽しかったです。
――第二章以降は、山本にとっても細野にとっても苦しい時代が待ち受けていました。
2人がご飯屋さんで話をするシーンがあるんですけど、まともに目を合わせることすらできませんでした。細野は本当に山本のことが好きなんです。
でも、自分にとって大切なものを守るためにやらなければいけないことがある。話そうと思うけれどうまくしゃべれなく、声を出すのも絞り出すような感じでした。
年代を分けて、それぞれの経過を追っているからこそあんなふうに揺れ動く心情を描くことができるのかなと。細野としては苦しかったですけど、俳優としてはとても充実した芝居ができました。
――山本役の綾野さんと共演した感想は?
剛君はとても大好きな俳優です。芝居を22、3年ぐらいやってくると、悲しくなる現場もあるんです。
それぞれが自分の思いを隠しながら“仕事”として“事なかれ主義の芝居”をこなしているように感じることがあり、作品を創り上げる過程の中で踏み込んで思いっきりぶつかることができない事も多いんです。もちろんそれだけが正しい向き合い方ではありませんが。
自分はそういう割り切る生き方ができないので、いつか本当に好きだと思える人と会いたいとずっと思っているんです。剛君は数少ないその1人。自分と同じ様にこんなに作品と役者を愛してくれる人がいるんだなって。
勝手ながら同志に会えた気持ちになり、何だかすごく救われた気がしました。
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