土井裕泰監督、“W主演”菅田将暉&有村架純に絶大な信頼「この二人に演じられない役はないんじゃないかなって」<Interview>

2021/01/28 08:00 配信

映画

土井裕泰監督がインタビューに応じた撮影:田中隆信

――「カルテット」以来となる坂元裕二さんとのタッグですが、この作品の監督のオファーはどのような状況で?

2018年の春に坂元さんとプロデューサーの孫(家邦)さんから「今度映画をやろうと思うんですけど参加しませんか?」というお話を頂いたんです。その時、まだ完全に決まっていたわけではないんですが、「主演は菅田将暉くんと有村架純さんで」というのも聞きました。

僕にとっては願ってもないお話でしたので、その場で「やらせてください」と返事しました。

――菅田さん、有村さんとは以前にもお仕事されていますよね。

有村さんは「映画 ビリギャル」以来なのでおよそ5年ぶり。菅田くんとは「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」でご一緒して以来だったので、ほぼ10年ぶりぐらいでした。

その間、テレビや映画などで二人が活躍しているのを「本当にいろんなことが演じられる役者さんたちになったなぁ」と感心して見ていましたから、今回の作品でいわゆる“どこにでもいる普通の二人”を彼らがどういうふうに向き合って演じるのか、ということにすごく興味がありました。

実際に撮影が始まってみると、さすが今の時代を代表する二人だなと思いましたね。彼らが演じることで、普遍性だけではなくある種の“ポップさ”みたいなものがちゃんと表現されていて、撮影が始まってすぐに「これは面白い映画になる」という予感がありました。

――坂元さんが書かれた脚本から受けた印象は?

何か大きな出来事が起こるわけではなく、二人を妨げる特別な障害があるわけでもない。本当に、ただただ恋愛が始まって、数年のうちにどう形や色を変えていくかを見つめている、ある種、日記のような脚本でしたので、その分、撮るのが難しいとも感じましたが、それがうまく出来れば日本の映画ではあまりないようなタイプの恋愛映画になるんじゃないかなとも思いました。

恋愛映画でもあり、彼らの20代の5年間を切り取った“人生”の映画でもあり、終わりゆく“青春”の映画でもあると思っています。

見終わった後も「彼らの人生は続いていくんだな」っていう余韻も感じられる作品になったと思いますね。人生の20代の中で起こる出来事を“恋愛”というものを通じて描いている、“ライフストーリー”です。

――“撮るのが難しい”と言われた意味が分かるような気がします。撮られる上で気を付けたことやこだわった部分は?

日記のように彼らの日常がつづられた作品なので、たわいもないことかもしれないですけど、毎日起きる一つ一つをうそがないように撮っていきたいと思いました。

一日一日に起きることはありふれた出来事かもしれないけど、それが何年か積み重なった時にちゃんと二人のストーリーが見えてくる。そういう作りの作品です。

――同世代でなくても、いろんな年齢層の人たちが共感できる映画だと感じました。

彼らより上の世代の人たちが見た時、全く同じじゃなくても、似たようなことを自分も過去に経験しているとフラッシュバックする瞬間があると思います。「あ、この瞬間の空気を僕は知ってる」っていうふうに思い当たることが(笑)。

そういう意味で言うと、20代の恋愛を描いた映画ではありますけど、先入観なしにいろんな年齢の方たちに見ていただきたいです。見終わった後、「花束みたいな恋をした」というタイトルの持っている意味やメッセージをそれぞれの経験値や解釈で感じてもらえるんじゃないかと。

――「明大前駅」など、具体的な場所が映されていて、“ありふれた日常”がよりリアルに感じられます。

映画を撮る時は、その映画の中の世界にしっかり入りたくなるので、いつもなら自分の日常というものがちょっとジャマになったりするんです。

でも、今回は作品の内容も現実の世界と同じような感じですし、実際、撮影場所がすぐ近所だったので(笑)、自分の普段の生活と映画の中で描かれている彼らが生活する世界がつながっているようで、自分の中では面白い体験でしたね。

――ファミレスだったり、劇中に登場する“Awesome City Club”やカラオケ屋で歌う“きのこ帝国”といった音楽、他にも作家など、実在のものが多く登場していますが。

場所もそうですけど、作家名やバンド、曲名とかは坂元さんの脚本の中に書かれていて、それを再現するように心掛けていました。深夜のファミレスって、人生の縮図というかいろんな人がいろんなことを喋っているんだなってあらためて感じました。ついつい耳がダンボになってしまいますよね(笑)。

ポップカルチャーについての固有名詞がいろいろ出てきますが、見ている人の中にはそれらが何なのか全然分からないという人ももちろんいると思うんです。

それらの固有名詞がリアリティーをより感じさせてくれるのは確かですが、固有名詞そのものよりも“好きなものを共有できた喜び”がシンプルに伝わればいいなと思うんです。

例えば、プロレスが好きだったり、落語が好きだったり、はたまた自分が研究している何かだったり、何でもいいんです。自分と同じような誰かを見つけた、出会えた時の喜びを共有できれば。