――第3話ではメインとなった深川時代(池田朱那)の家族構成が姉ではなく妹になっていたり、設定として文化祭やミスコンを加えたりと、ドラマでは原作とは異なる部分も見られます。ドラマオリジナルとしてアレンジを加えている場面や設定にはどんな意図があるのでしょうか?
尾崎:シナリオを作る上で、全編通しての主人公は高柳先生だけど、各話ごとの主人公はそれぞれの生徒に見えるような構成にしたいと思いました。視聴者が生徒の気持ちに寄り添って見られるようにした方が、より深く刺さるのではないかと。ただ生徒が悪いことをして、先生に?られるという風な捉えられ方はしたくなかったんですよね。現場では常に、生徒を悪者に見せないような撮り方を考えています。
第3話で言うと、時代という女の子は一見、大人を弄ぶ悪趣味な生徒なのですが、実はそこに彼女なりの理由があって、幼い頃から抱えていた妹へのルッキズムに関するコンプレックスをこじらせたゆえという人生の背景があります。さらにその傷は、高柳先生の言葉や松田先生(田村健太郎)の純粋な想いだけでは救いきれないほど、根深い。そのため、解決できずにしこりが残るラストでした。
実写ドラマ化するからには、各生徒の今が形成されるに至った軌跡をより濃く見えるようにしたいなと。それはどうすればいいかということを試行錯誤しながら、高羽さんも脚本を描かれています。そういった意味で、第3話は“ルッキズム”をより強調できるように、同じ学校に通う妹かつ文化祭のミスコンという設定に変更しました。
渡辺:高羽さんは、原作を長く愛してきた一ファンだからこそ、この作品に対するリスペクトがあるという自信があるのか、果敢にトライしてくださる面があります。
――ドラマオリジナル部分でいうと、第1話オープニングでの、谷口恭一役を務める池田さんの一人芝居がとても印象的でした。
渡辺:ああいう風にワンカットで撮るというのは、演出の作意です。もともと高羽さんの脚本自体にモノローグが多かったというのもあるのですが、1話ごとに主役の生徒が代わっていく中で、“この子が今回のメインです”というのを端的に示すのは、やはりモノローグが必要不可欠だなと。このモノローグを説明としてだけではなく、視聴者を惹きつける一つの要素として効果的に使うにはどうしたらいいかと考えたときに、オープニングにああいう手法を用いるのはどうかと。
またこの作品は、外見的には派手な出来事が起きるわけではないですが、生徒たちの内面では実は大きなことが起こっているんだということを描いています。そんな見えない部分にフォーカスを当てたエンターテインメントであることを、第1話だからこそ、冒頭でタイトルバックも含めて表現したかったんです。
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