蝦夷鹿のコンソメを使ったポトフ。蝦夷鹿の肉に加えて、骨と筋も使い、香味野菜とともに炊いてとったコンソメで、すね肉や地元・北海道で採れた野菜(ニンジンやカブ)を煮込んで仕立てたスープ料理だ。「普段だったら捨てられたり、使われづらかったりする部位なんですが、僕たちは命を頂いているからこそ、そのすべての食材にしっかり価値を見出しています」と高橋シェフ。
スープを味わい、次に野菜を口に運ぶ。「うますぎる!」とシンプルかつ強い感想が漏れる。
「こういうのに飢えてたなぁ(笑)。野菜も染みてますねぇ。やっぱり日本人だからか、ポトフとか、こういう煮物みたいなのがたまらないですね」
黙々と食べ続けるが、表情の緩みから美味しいのだということは十分に伝わってくる。野菜を一つ一つ味わい、皿に残るのはすね肉。
「僕は最後に肉を残すんですよ(笑)。うまい、うますぎる! このスープはマスタードとかで濁したくないですね」
いまや“変態グルメ”などと称されるほど食通のイメージが強い髙嶋だが、その原点に迫ると、話は学生時代に遡った。
「中学3年生ぐらいの頃かな、“500円で食べられる店”みたいな小っちゃいサイズの本を買ったんです。当時はちょうどB級グルメのはしりで、今のように料理人がこんなにクローズアップされていなくて、まだ“予約何カ月待ち”なんてない時代。僕の記憶では、その本を頼りに、今はもうないんですが、虎ノ門の『鐵五郎』に、うな重を食べに行ったのが、最初でした。そのときに『ごはんがスゲぇ多いな』って思ったんです(笑)。何か大人の世界をちょっと垣間見た気がしましたね」
当時、野球部だったという髙嶋。部活帰りにも、ちょっとした至福のひとときがあった。
「他の部活にちょうど帰る方向が同じ奴らがいて、今はもうないんですが、東急電鉄の二子玉川園駅(現在の二子玉川駅)があって、その中の『富士そば』に行くんです。そこの『コロッケうどん』が本当にうまくて。1杯をみんなで分け合って、まず汁を回し飲みするんですよ(笑)。それで、おばちゃんに『汁ちょうだい!』とか言うと、『しょうがないねぇ』って足してくれて。コロッケを浸しつつ、うどんも回し食い。最後にみんなが「いらない」って言ったコロッケがドロドロに溶けたやつをズルッと食べる!」
当時のワクワク感を思い出しているかのように、弾むように話す。
「今はずいぶん出汁の色が澄みきっていますけど、当時はもっと黒くて、いかにも醤油っぽいような汁だったんですよ。最初に自分で食べに行ったのはウナギだけど、本当の原点って言ったら、ここかもしれないですね。いつも『なんてウマいんだろう!』って感動してましたね」
次にハマったのがラーメンだ。同じく二子玉川園駅の改札を出たところにあった「どさん子ラーメン」の「みそ」をよく食べていたという髙嶋だったが、その後、衝撃の一杯と出会うことに。
「大学1年のときに『天下一品』と出会うんですよ、池尻大橋の。今は京都なんかだとまだ書いてある店もあるんですけど、当時は店頭に、麺が見えないほどチャーシューが乗っているという意味の“焼豚鉢一面入り”って書いた赤い提灯が店頭に飾ってあって。そこで『こってり(スープ)』を食べた衝撃は忘れられません。ハマりましたねぇ。迷ったら『ラーメン二郎』って人と『天下一品』の人とかいろいろいるんですが、僕は『天下一品』ですね。『富士そば』と『天下一品』は今でも常に行っています」
大学在学中に役者デビューをはたし、10年経った頃、今度は「ココイチ(カレーハウスCoCo壱番屋)」と出会う。
「とにかく『ビーフ5辛』です。ココイチからお金をもらっているわけでもないのに、いまだに『ココイチの真骨頂はビーフ5辛だ』『ビーフ5辛じゃないとダメだ』とかってまわりに言いまくっています(笑)」
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