柴咲コウ主演で放送中の大河ドラマ「おんな城主 直虎」(NHK総合ほか)。3月26日の放送では、次郎法師(柴咲)の幼なじみで井伊家当主・直親(三浦春馬)が今川に討たれ、曽祖父・直平(前田吟)らも戦で命を落とし、家を継ぐべき男子が絶えてしまった。この危機的状況を前に、次郎法師は、井伊直虎という男名を名乗り、直親の忘れ形見・虎松の後見に名乗りを上げた。
直親の死、直虎の誕生、そして何より政次(高橋一生)の裏切りと怒濤(どとう)の展開に視聴者も盛り上がる中、主演の柴咲に撮影の舞台裏を直撃。4月2日(日)放送回から城主としての戦いが始まるのを前に、見どころも語ってもらった。
――まずは3月19日放送で描かれた直親との別れのシーン。切ない場面ですが、どういった心境で撮影に臨まれましたか。
その1つのシーンで終わるというよりも、シーンをまたいで、直親が無言の帰宅をしたあとまで含めて心を動かされました。直親の遺体と対面しても、立場上さめざめと泣くことさえ許されず、一人ぼっちでその悲しみを噛みしめるのですが、やがて「どうして、こんなことになってしまったんだ」と憤りが湧いて、奮起していく。私の中でも、彼女の心の動きに、「それはそうだよな…」と、納得しながら演じていました。
――悲しみと憤りを経て、3月26日放送の「われが、井伊直虎である」と宣言するシーンにつながりました。このシーンの撮影の感想を教えてください。
2016年末に撮ったはずですが、実はあまり覚えていません(笑)。というのも、この先のシーンでもあったのですが、すぽんと役や物語の世界に入ると、あまり記憶に残らなくて。いろいろなことが噛みあって、違和感も気持ち悪さも一切なかったんだと思います。
このシーンでは、幼い頃、直親と夫婦約束をしたときに作っていた着物を着ているのですが、ポスターなどでもこの衣装でしたので、自分の中では、ある意味でここからが本編とも感じました。
――直虎と名を変えてから、ご自身の演技や意識は変わりましたか?
装いが変わるので、それによって振る舞いが変わった部分があると思います。次郎法師の時は墨染めですから、彼女の中でも修業期間というか、全50話の中でも一番静かな時期だったと思うんです。もちろん、言いたいことを言う彼女の核となる部分は変わりませんが、静観したり、自分の中で考えたり、ということが多かったと思います。
それが城主になると、衣装もはかま姿ですし、きりっとした気持ちが出て来ます。あくまで、「この衣装だから…」という意識的なものではなく、内面から出てくるものですね。自分の中で変化を意識したのは、やはり直親の死で、そこからは生まれ変わるつもりで演じています。
――屋敷では直盛(杉本哲太)が座っていた席にすわるようになりますが、すわり心地はいかがですか?
「やった!」という感じですね(笑)。自分の性格上、全体を客観的に見ていたいので、あの席はうってつけです。ただ、客観的にいろいろな人の気持ちを汲んだり、バランスを見たり、城主とはいえ“調整する”席なんだなというのは意外でした。最初は自分の気持ちが出過ぎるのですが、回数を重ねるにしたがって、それが徐々にできるようになる直虎が描かれていくといいなと思います。
――撮影が始まって半年になります。去る人も新たに加わる人もいる大河の撮影はいかがですか?
新しく加わる方は新しい風を運んでくれて、多少慣れてきた現場に、また緊張感をいただけるし、私も思ったことをもっと表現していきたいなと感化される部分があります。
――座長としての立場と、城主としての直虎の立場はリンクしますか?
そうですね。これまでは“誰かの相手役”ということが比較的多かったので、主演の方が盛り上げるのに乗っかっていれば良かったのですが、今回は自分がそれをする立場。ここまでは、現場に馴染むこと、自分のやるべきことをまっとうすることなど、自分に重きを置いていましたが、中盤に入り少し疲れも出てくる中で、皆を盛り上げたいなという気持ちが強まっています。
でもどうやるかというと、一人っ子気質が出てしまって…(笑)。この現場で学んでいくのかなと思います。
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