――今回、吾妻鏡を基に書かれている部分もありますが、ご自身のオリジナルのシーンで手応えを感じた部分はありますか。
吾妻鏡は、本当に細かく書いているので、手元に置いて資料として読んではいますが、吾妻鏡をそのままドラマに写しているという訳ではないです。なので、もしかしたら吾妻鏡に書かれていないことの方が、ドラマの中では多く描かれている気もします。もっと吾妻鏡に寄せて本当に“鎌倉クロニクル”のような形で、淡々と出来事を描くだけでも十分面白い作品になるとは思いますが、今回は吾妻鏡から少し離れることで自分なりに面白く描けたかなと思います。
義経の最期のシーンは、書いていてとても面白かったです。菅田将暉さんが演じるという前提のもとに考え描いた義経像ではありますが、義経が自ら命を絶つ瞬間は、僕は見たくなかったし、お客さんに想像させたいという思いや、できれば最期は義経に笑っていてほしいという思いもあり、最後のシーンを書きました。僕のイメージしている義経の、これ以上ない幕の引き方だったのではないかなと思います。
――義時を主人公にした時代を描く大河ドラマの面白さみたいなものを感じていますか?
今回の「鎌倉殿の13人」の時代では、人々が神様を身近に感じていたこともあり、神話性のようなものを感じています。神頼みや予言、呪い、夢のお告げなどに縛られた人たちを描くのはとても面白いですし、何でもありではありつつ、人間の根っこの部分をストレートに表現できると感じました。お告げなどを多用していて、少し先の話で比企一族が滅亡する時に、比企尼がある人物にある種の呪いの言葉を告げ、それが先々新たな悲劇を生んでいくという場面があります。この時代を描く上で、物語としてとても豊かなものを感じています。その中で、義時は最もドライで現実的な登場人物だなと思っています。何でもありの混沌とした時代の中に一人だけリアリストがいる感じがあり、義時を主人公にして成功だったなと思います。
――主人公・義時の成長をどういうふうに捉えていますか。
今回の義時や政子のように、1年間ずっと登場する人物たちに関して言うと、実はあまり長期展望のようなものは作っていません。その時その時に彼らが何を考えているのか、何か事件があった時にどう対応していくのかということを考えながら書いています。義時に関しては、「ブラックにしよう」とか「ダークサイドに落とそう」などと思って書いている訳ではなく、僕が描く義時が歴史に残る北条義時という人物と同じ人生を辿っていく中で、どうしても自然にダークサイドの方に向かってしまっている感覚です。この後はどんな義時になっていくかも分かっていないので僕と、僕が描く義時、そして義時を演じる小栗さんで見つけていきます。
――小栗さんと演技などについて、これまでやり取りはしましたか?
メールのやり取りもなくはないですが、役について語り合うなどはしていないですね。僕は、小栗さんという俳優の持っている力に以前から魅力を感じていましたから、僕の映画に出ていただいた時も、やってほしいことを的確に演じてくださって、小栗さんは僕と共通言語を持っている人だと感じました。今回に関しても、小栗さんの芝居を見ていると、僕がやってほしいことをきちんと受け取って演じてくださっているので満足しています。これは僕の勝手な思いですけど、この「鎌倉殿の13人」は小栗さんにとって新しい代表作になっていると思いますし、今後の年齢を重ねた義時を演じる上で、これまでの義時よりも小栗さんの良さが出てくると確信しています。