「笑の大学」を上演していた頃は演出をしていなかったので、自分が演出をするという選択肢はなかったんです。今回自分で演出をしてみて、初めてこの戯曲の意味のようなものが見えてきた気がします。自分で書いていて不思議なんですが、ああ、このセリフはこういう意味があったのか、というような客観的な発見があって。そして演じる俳優さんが変わったところが大きいんですが、内野さんと瀬戸さんが演じることによって、この二人の関係性に前回はなかった疑似親子みたいなものが生まれて、二人に年齢差があることで、最終的に息子を見ている父親の目線みたいなものがそこに見えてきたんです。
それでラストを変えたんですよね。だから多分このラストは今回の二人にはベストな結末だと思うし、内野さんと瀬戸さんと僕とで作ったこの公演に関しては、多分正解にたどり着いた感じはすごくあります。
1998年版の「笑の大学」再演公演を観てあまりの質の高さに、もう度肝を抜かれたんですね。向坂役にとオファーがあったときも、おいそれと二つ返事でやりますとは言えなかったんです。ちょっとした恐怖もあったし、ちょっとした野望もあったし、自分がやるからには2023年に上演する上での何か闘志のような、夢のような部分で、三谷さんと感じ合っておきたかったみたいなところがありまして。すぐには「やりますっ!」って言えなかったんです。「笑の大学」が自分の中であまりにすばらしい作品だったので、出演を決めるまでに少し時間が必要だったことは確かです。
でも、三谷さんの絶大なラブコールといいますか、「内野さんじゃないと」と言ってくださって。「そんなに喜劇慣れしてない私が、「笑の大学」をやってもよろしいんですか」みたいな気持ちだったんですが、三谷さんご自身の「笑の大学」を執筆した当時の自分に僕は負けたくないというような言葉も伺って、すさまじい熱量でこの作品に対峙しようとされているんだなと感じました。であるならば、私も三谷さんと一緒にこの山に登ってみたい、と決断することができました。
傑作の二人芝居と言われているこの作品をやるか、みたいなプレッシャーは正直なかったんですよね。ただ、三谷さんが呼んでくれたっていうのと、二人芝居には興味を持っていたので、挑戦したいと思いました。稽古は今までで一番あっという間で。多分めちゃくちゃ楽しかったんだと思います。まるで、子どもの夏休みのような体感の早さでした。
僕と内野さんの演技を見て三谷さんがつけてくれた演出がたくさんあって、その場で、その日に生まれてくることが多かった気がします。今回のラストは初演・再演のラストから三谷さんが書き替えられたんですが、稽古場ではまた別のラストも実は試していて。お客様に観ていただくことはないものですが、それはもう稽古場でしかなかったラストだったりするので、毎日いろいろなことが生まれて、喜劇作家の椿さんが台本を作っている時のワクワクが、毎日稽古場で繰り広げられていたなと思います。
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