松本潤が主演を務める大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)の第20回「岡崎クーデター」が、5月28日に放送された。山田八蔵を演じた米本学仁からコメントが届いた。
――山田八蔵をどのような人物と解釈されましたか?
たくさんあるのですが、山田八蔵として一歩目を歩む上で大切にしていたのは“不安と迷い”でした。
お話を頂いてから先ず八蔵の足跡をたどるために、愛知県に向かいました。山田八蔵の塚と云われている場所を訪ねてみたら、こんもりと土が盛られていて、一本の道が二つに別れる場所でした。そこで、手を合わせ、八蔵の塚をじっと眺め、一つ一つの呼吸を噛み締めながら佇んでいると、この道で良いのか、何をするべきか、八蔵は常に迷っていたんじゃないかな、そんなことを感じました。優柔不断と言えばそうなのですが、最後まで不安の中に居て、迷いながらも進んだ八蔵。
大岡弥四郎、仲間たちの凄惨な死に様は、決して忘れられるものではなく、その上で自分の命を燃やすべき場所を心の奥底で求めていたのではないでしょうか。八蔵だけでなく築山殿、そして徳川信康さん縁の地にも足を運びました。築山殿の人物像には諸説ありあまりいい描かれ方をしていないこともあります。けれど八柱神社で出会えた「築山御前首塚」の石碑に書かれていた「…されど生害に値するほどの罪悪であっただろうか…」この一文から石碑を建てた人達の想い、築山殿に向けられるまなざしに触れることが出きた気がします。それが山田八蔵を生きる上で一つのコンパスとなりました。八蔵が常に抱いていた不安や迷い、その苦悩に寄り添って下さる築山殿の人となりを感じました。
――大岡弥四郎をはじめ、クーデターを起こそうとする家臣たちと、徳川への忠義との間で揺れる八蔵の心をどのように捉えて演じられましたか。また、第20回において、特に印象に残っているシーンはありますか?
終わらない戦乱の世。失われていくことが当たり前の命。ドクドクと脈打つ深い悲しみ、荒くなる息。そんな不条理をぶち壊したい。切なる想いを共にする弥四郎。色んな想いが巡る中「死にたくない」「生きて帰りたい」「会いたい」そんなシンプルだけど強い欲求が真ん中にありました。弥四郎や他の仲間たち。そして彼らの家族たちとも過ごしたこれまでの日々を何度も思い返すことで八蔵の苦しさ、後ろめたさがより深く大きくなっていくのを感じました。クーデターを実行するその夜、弥四郎と目線を交わしたり、仲間たちと進む中も心の中で、「すまぬ、すまぬ…」とずっと謝っていました。
特に印象に残っているのは武田勝頼軍との戦に敗れ、怪我を負い城に戻って来るシーンです。たった一つしかない命を軽んじられること。またそんな状況に八蔵自身も慣れて麻痺していた部分もあったと思います。誰にも分け隔てなく手当てして下さるお方様。戦乱の世の不条理が五徳さんの台詞に現れる中、烈火の如く怒る瀬名さんの言葉たちに涙が流れました。最後まで迷いながらも裏切りを決めていた八蔵にとってその姿は驚きそのものであり、自分の命と心に温度を取り戻しました。そして瀬名さん、信康様をはじめ沢山の人達の命を愛おしく大切に感じてしまいました。迷いながら、不安と共にまた一つ裏切りを重ねる山田八蔵が生まれた瞬間でした。
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