2021年に終了した国民的クイズ番組『パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日系)。司会の児玉清を中心に、参加者が真剣に頭脳と反射神経を駆使して対決する白熱の早押しクイズバトルが人気を博していた。そんな同番組が、2022年初頭に新たなスタートを切ったことをご存じだろうか。伝説的な足跡を追いつつ、「アタック25」の現在地を紐解いていく。
現在の地上波テレビ番組は、バラエティ色の強い番組がほとんどを占める。スペシャルと題して単発で放送された番組がレギュラー化することもあれば、逆に誰もが知る有名番組が看板を下ろすことも。流行に合わせて、さまざまなジャンルのバラエティ番組が浮かんでは消えていく形だ。
しかし最近とんと見なくなったと感じるのが、視聴者参加型のバラエティ。場の盛り上がりを見てトークを回してくれる芸人というありがたい存在がいるなかで、わざわざ素人を募って番組を作るのはコスパが悪い。だが番組の撮れ高や盛り上がりを考えてしまう業界人ばかりの番組は、時に本気の素人同士がぶつかり合った時に生まれる“熱”に敵わない場合もある。
おふざけなしの白熱バトルが見どころの視聴者参加番組といえば、真っ先に浮かぶのが2021年に惜しまれながら終了したレジェンドクイズ番組『パネルクイズ アタック25』。一般に広く募った個性豊かな参加者が、豪華景品を賭けて早押しクイズで火花を散らす。
特徴は、番組タイトルにあるように各問題の正解者が25枚のパネルをめくっていく点。オセロの要素を持ち、他の参加者がめくったパネルを挟むことで自分のパネルにすることができる。最後に自分のパネルが最も多い参加者が賞品を賭けたラスト問題に挑めむ権利を獲得。クイズに正答するための知識だけでは勝てない頭脳戦が注目を集め、1975年4月6日の放送開始から46年もの間放送された。
同番組のユニークなシステムである「アタックチャンス」は、特にお笑いコンビ・博多華丸・大吉のモノマネによって知名度をさらに高めたといえるだろう。正解者はパネル獲得をしつつ、他参加者のパネルを無色に戻すことができる。残りパネルが5枚になった際、司会が力強く拳を握りながら「アタックチャンス!」と宣言する様子は特徴的。当時司会を務めていた児玉清の仕草をマネした華丸は、その再現度が話題に。
ただ華丸のモノマネが受けたのも、児玉のパワフルな「アタックチャンス」が広く浸透していたという前提が欠かせない。先に述べたように長寿な同番組だが、46年という歴史のうち36年は児玉が看板を背負い続けていたのだ。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』、フジテレビ『HERO』などの名作に出演した名優・児玉清。しかし児玉は1975年から2011年の逝去まで司会を勤め続けた「アタック25」を、自らの“バックボーン”と語っていたという。
ある日の「アタック25」の収録では、参加者が番組が想定していなかった解答を述べた。正誤を確認するべくスタッフが走り回っていたところ、児玉が「僕が調べる」と知己の専門家に解答を確認したというエピソードがある。同番組は一般視聴者が賞品とプライドを賭けて出演している性質上、解答の正誤を判断する時も慎重を期さなければいけない。番組の都合を優先してくれる業界人・タレントとは違い、1枚のパネルを真剣に取り合っているからだ。出演者は番組だけでなく、一般の参加者に対しても真摯に向き合っていることがわかる。
「アタック25は自分の家で、スタッフはみんな家族だ」と想いを明かしていたという児玉。番組参加者や観覧に来た一般人にアメを渡して緊張を解していたなど、彼の人柄を伺わせるたとえ話は多い。
児玉という国民に愛される大看板を擁した同番組だったが、同氏が胃がんによって逝去した2011年以降は浦川泰幸アナウンサー、谷原章介へと司会を引き継いでいる。谷原は特に児玉へのリスペクトを口にする機会が多く、仕草や言葉1つひとつに敬意をにじませていた。
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