――多くの方が印象的だったと語っていた、第33回「嫌われ政次の一生」での処刑シーンについてうかがいたいのですが。撮影当日は、柴咲コウさんや、監督の皆さんとどのようなお話しをされたのでしょうか。
当日は柴咲さんとは、ほとんど話さなかったです。「おはようございます」と言って、それぐらい。周囲のスタッフの皆さんも直虎、そして政次と同じ気持ちになっていたので、自然と気遣ってくださいました。演出の(渡辺)一貴さんも「このシーンは何度も撮れるものではないと思うので、ひと続きに撮ろうと思います」とおっしゃってくださって。撮ってくださるんでしたらそれは俳優の仕事ですから、何度でもやる気持ちではいましたが(笑)、皆さん本当に気遣ってくださいました。
――キャスト、スタッフ含め、現場の皆さんの思いが一つになっていたからこそ、それが視聴者の皆さんにも届いたのでしょうね。
みんなで何かを投げる時は、力を添えるのが非常に難しくなると思うんです。一人で投げる方が、飛距離が出ますから。みんなで一緒に、二人羽織、三人羽織どころでなく、何百人羽織になった状態で投げると、そこに力を乗せるのはとても難しいものです。しかし、「直虎」にしても、また「カルテット」(2017年TBS系)にしても、そういう力の相乗効果が確実に存在しましたし、振り返るとまず自分たちが面白いと思うものをつくらないと伝わらないんじゃないかということを制作陣の方々一人一人が強く思っていたのではないかと思うんです。そういった作品をこう言った形で評価していただけた以上は、このやり方を改めて曲げたくないと思いました。実はここ10年ぐらいの間ずっと思っていたことだったのですが…。
――そのことを改めて確信させてくれたのが、この作品だった。
ええ。その思いを形にしてくれた作品だったと思います。何につけても志って大事なんだということがはっきり分かったし、差異もはっきり分かってくるんです。志が重なって、一つの作品になると(芝居という)“ごっこ遊び”を超える瞬間が生まれる。たたが“ごっこ遊び”、しかし、されど“ごっこ遊び”と思っているのが俳優で、それを自分の中でちゃんと通していかなければならないと思いました。また、自分たちが信じた志を貫いた作品を作ることができたおかげで、見ている方々に面白いと思っていただけたとも思うんです。例えば、「直虎」ではあのゴールデンタイムに血を吐くというシーンはなかなか受け入れられ難いことだったと思うんですけれど、僕は台本に書かれている通り吐きたいと思った。もちろん一貴さんもそのつもりでいました。(批判が生じるかもしれないシーンだったが)共に歩み、これは絶対に大丈夫だと迷いがなくなった状態のなかで物事が練られていくと、ちゃんと皆さんにもそれが届くという自信になる。ですから、見てくださる方のことを気にしないでお芝居をするということが、この「直虎」と「カルテット」で僕のモットーになったかもしれないです。作品を構築するために、自分が一個のピースとして作品世界に入って行くことを忘れない。これはここ数年ずっと思っていたことだったのですが、2017年にはっきりと言語化することができました。
――現在、「わろてんか」(毎週月~土朝8:00ほか、NHK総合ほか)で伊能を演じている真っ最中の高橋さんに、政次を語っていただくというのは何とも不思議な感覚で(笑)。
そうですね(笑)。これから伊能も苦しくなっていきます。軍部に言論を弾圧されてしまったり、自分がやろうとしていることに規制を掛けられたり。映画の中での自由恋愛なんてもってのほかみたいになってしまうのですが、人間の自由って愛とか、恋とかじゃないの?と、苦しくなって行くんです。そういう構図がちょっと現代と似ている、なんて感じながら、今までの伊能とは違う姿をお見せする形になってくるのではないかと思います。
取材・文/及川静
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