――取り上げる歌手など、テーマはどのように決めているのですか?
スージー:プロデューサーとの合議ですね。制作陣が我々よりも少し若いので、そのズレもまた楽しいわけです。例えばザ・ブルーハーツに対する観点が違ったりするのも新鮮で。
マキタ:ザ・ブルーハーツは今の若い世代にも届いていて、本当に永遠の輝きを放ってる。おじさんだけのおもちゃじゃないんですよ!
――ブルーハーツ特集が近々控えているんですか?
スージー:いやー、これはやらなきゃいけないですね。山下達郎を特集した時もそうでしたが、「ああ、ついにやっちゃったなあ」「手を出しちゃったなあ」という気分になるとは思うんですけど。
マキタ:その罪悪感とセットって感覚、すげえ分かりますよ。僕はそもそも、音楽で感動するってことに、昔から罪の意識みたいなものがあったんですよ。人に言ってもあんまり理解してもらえないんだけど。音楽で感動してることは、人に言ってはいけないことのような気がして。
スージー:エロスですね。
マキタ:そうなんですよ。音楽を自分なりに習得していく中で、「この音のパターン超気持ちいい」って思ったりするんだけど、それは人に言えないという。
スージー:言えないですねえ。
マキタ:今日もザ・ブルーハーツの話から「夏のぬけがら」(※3)の話題になり、「ルーレット」(※4)の話が出てきたときに、涙がちょちょ切れてしまったりして。
(※3…1981年に発売された、ザ・ブルーハーツのメンバー・真島昌利のソロアルバム)(※4…「夏のぬけがら」の収録曲)
スージー:(笑)。
マキタ:「ルーレット」の話をすると、感情が高ぶって「うわー!」ってなっちゃうんですよ。そんなことは大人として恥ずかしくて。今日多分、帰って布団に入った後に思い出して、「うわー恥ずかしい!」って頭を抱えると思います。でも、この番組ではそんな風になってもいい。音楽の話をしてもいい。ずっと溜め込んだものを大開放してるっていう番組なんですよね。
スージー:聴いてから30年経ってますから、もう言っていいんじゃないですかね。むしろ死ぬときに「ああ、『夏のぬけがら』の話をしなくて死んじゃうな」って後悔するなんてね、それはつまらない人生ですよ(笑)。
ずっと昔から、ロッキング・オンの渋谷陽一さんだったり、音楽を深く洞察して、情念的に人生論で語る人たちっていうのが世の中にちょっとだけいて、あとのほとんどの人は「音楽なんて格好良けりゃいいじゃない」「楽しけりゃいいじゃない」で終わると思うんですけど、「それはそうなんだけど、それはもったいないやん」っていう。
いろいろ分析して屁理屈こねたりして、そういう風に音楽を語ってみると“二度おいしい、三度おいしい”なんですよ。
なぜ格好いいのか?と考えて、「(コードの)メジャーセブンスでこう見るとこういう共通項があったのか」「転調するとこんな印象があるのか」とかが見えてくるとね、音楽が二倍三倍にも楽しめる。なら、やったほうが面白いですよね。
マキタ:面白い。それをこの丑三つ時に解放してるっていうのが、密かな面白みのようでね、いいんですよ。おじさん二人が分析して、「ここが気持ちいいんですよ」「そうですよね、そこが気持ちいいんですよね」って言い合ってるっていう。こんな番組、他になかなかないですよ。
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